2009.02.12 雑感香港人
雑感 - 香港人【1】 香港人気質
香港では日本の原則終身雇用とは違い、ひとつの会社に長く留まるということはなくはありませんが少ないです。普通は退職金制度もないので、条件のよい会社を求めて金銭面だけにかかわらずあちこちの会社をめぐる場合が多いです。

会社のアニュアル・パーティー、年次パーティー 香港の会社では各種手当ては無し、通勤費も自分持ち、税金の天引きはなく、政府に自分で申告しなければなりません。
給料をもらうとあとは全部自分で段取りをする、という私の性格にぴったりのシステムです。
香港人は一度一緒に仕事をしたりするとけっこう結びつきが強いようで、以前の同僚達と食事会をするので、とか、以前の同僚の結婚式があるので、とか言うのがよくあり、こういう結びつきが転職の時などの情報収集に大きな力を発揮するのだと思います。
香港人は歴史的なものによるのか、「支配者」に対して秘密にしなければならないと言うことに関してはほんとに口が堅く、自分たち同僚の不利になるような 情報をボスの耳に入るようなことは、まずしません。日本人が社長の会社の場合、重要と考えられることは日本人には話しません。このへんのセキュリティー感 覚は香港に来て感心したことでした。

ある香港人が持ってきてくれた求人情報 ただ私は日本人には珍しくこういう集まりにはよく参加するので情報をけっこうぽろっと漏らしてくれることがありましたし、それ以上に面倒を見てくれることが多くて感謝しています。
1996年に香港に来て1998年に最初の会社を辞職した時に日本に帰ろうか、とも思っていた所、ある香港人が残ったほうがいい、と言い、いろいろ就職情報を持ってきてくれたのがきっかけで、異郷の地で言葉も分からないまま就職活動に挑戦したのです。ひとつうまくいくと、まあ自信もつくもので香港に住み続けることになったのです。
おそらく香港人同士ならもっと深い結びつきがあるものと思いますが、香港人同士でも嫌いとなるとこれまたすさまじく態度ははっきりしますのですぐ分かります。でも嫌いといえど、その情報をやたらと日本人には話しませんが。
香港人は電車のマナーとか見ていても子供がそのまま大きくなったという感じ、言うなれば見える所、見えない所、全て本音と言えるわけでわかりやすい人々ではあります。
雑感 - 香港人【2】 「香港時間」

ゆったりした時間の流れ・・ 奈良公園
私のふるさと奈良には大和時間というのがあります。
集まりとかに参加する時は集合時間に家を出るので開始が必ず遅れるというもので、地元民である私には子供の時から屈辱的な気分でした。
記事を書くにあたって大和時間を検索、ブログなどを拝見すると「ゆったりとした大和時間の流れ」というような表現ですごく美しく聞こえて考えてしまいました。
香港人同僚がマンションを買って内装ができあがった時、そのお披露目に仲間を招待することになり私も招待されました。
朝9時に彼のマンションの近くのxxレストランに集合、というので彼から聞いた場所やレストランの名前を頼りに9時に間に合うように教えてもらったバスに乗って出かけました。
最近は香港のバス停も名前が付くようになってきましたが、当時はバス停に名前が書いてませんでしたので、聞いた情報を頼りに適当に当たりをつけて下車、xxレストランを探します。バス停を降りたら電話しなさい、ということでしたが、当時は携帯電話を持っていなかったので適当に探していこうと思って歩き始め、運良く探し出すことができました。

ホームパーティーでカラオケに興じる香港人 レストランに彼の顔を見つけた時は9時ちょっと前。飲茶のテーブルを見ると来ていたのは私のほかにはひとりの香港人。で、飲茶(ヤム茶)を注文しながらよもやま話。
9時を過ぎても誰も来ません。飲茶がすすんでいくと、ひとり二人とぼちぼち人数が増え始めました。いつ彼の家へ行くのかと思いながら食べ続けてなんと12時過ぎまで延々3時間飲茶を続けました。気がつくといつの間に人数もそろい、12時を過ぎてやっと彼の新居へ向かうことになりました。3時間も飲茶をしたのは初めてのことでした。
彼のマンションでも人が入れ替わり立ち替わり。要するに時間がある時にふらーとやって来ては思い思いの時間に帰っていくのです。それを誰も気にするようなことはありません。好きな時に来て好きな時に帰って行く、どうやらこれが香港風ということのようです。ま、マンションのお披露目ですから肩の凝らないこういうやり方がいいのでしょうね。慣れてしまうと確かに気分が楽です。
まあ9時に集合というのは9時から準備ができてます、という程度の意味なのでしょう。で、待ち合わせ場所に飲茶屋を選んで飲茶をしながらのんびり待つということでしょうか。
結婚式の披露宴も夜8時からということであれば、会場のほかに別室を設けて、4時ぐらいからぼちぼち別室に人が集まりだして麻雀、トランプなどをしながら8時を待つのですから、これも同じ発想なのでしょうね。
雑感 - 香港人【3】 コンサートで
香港の尖沙咀のスター・フェリー乗り場に近い所に香港文化中心(cultural Centre)(Centreはイギリス綴り)という所がありますが、ここでコンサートのほか、コンサートのパンフレットを置きチケット販売をしています。
香港の藍田に住んでいた時は時々ここへ来てコンサートの情報を得たりチケットを買ったりしていました。日本に比べて安い価格だったので買いやすいこともあります。
で、ある時オーケストラのコンサートに出かけました。この日は香港管弦楽団による演奏でメインはベートーベンの第7交響曲。私はベートーベンが好きなので日本でもよく聞きましたし、香港でもCDのベートーベン交響曲全集を買ったりして聞いていました。で、このコンサートを見つけた時すぐチケットを買ったのです。第2楽章がすごく綺麗な曲です。コンサートは香港島の香港大会堂(City Hall)で。
そしてコンサート当日、初めての香港でのコンサートにひとりで出かけました。
メンバーには白人も多く見受けられました。7番が始まって第2楽章。『よし、そこで少し粘って..』とか少しひとりで興奮気味。『そこで粘って・・・ ん、ん、え・・・?』とすらーっとあっさり通り過ぎてしまいました。

全体的にあっさりした演奏でした。譜面をそのままなぞって終わってしまったような...
この演奏は指揮者の要求なのでしょうか、それとも国民性?
私としては感情の伝わってこない、満足のいかない演奏だったわけですが、これも音楽の解釈とか、生まれ育った環境による感情の違いなのか...
正直な所、伝わってきた感情は、演奏者たちが仕事で演奏した、みたいな...
演奏が終わり、みんな会場のロビーへ出て行くのを待って一番最後にロビーへ。
「??」
なんと、演奏者たちがすでに帰り支度でめいめい楽器を持って帰るのとばったり出会ってしまいました。やっぱりあっさりした国民性なのかな。
日本にいた頃はオーケストラやコンサートなどに関わったこともあるので軽いカルチャーショックでした。
香港人のバーベキューパーティーに誘われて行ったことがありますが、大騒ぎしていたかと思うと急に静かになって食事タイムに入り、食事が終わって騒ぎ始めたころ、これで帰る、と言ってさっさと帰る人もいます。周りの人も気にするでもなくマイペース。
これなんかもあっさりしているというのかも知れません。日本とは違うでしょうけど私にはこういうの気楽です。
いろいろありながらもこうして記念すべき香港での第1回目のコンサートは終わりました。でも、火がついたのかこれ以後、何度も出かけるようになりました。
(いろいろ書きましたが、香港人を揶揄しているわけではありません。私の大切な友人たちです。念のため。)

雑感 - 香港人【4】 バスで・・財布を落とした・・
香港に来て、バスの乗り方に慣れて頻繁に使い始めました。地下鉄も便利でいいのですが、周りの景色が見えないためなのか、少々圧迫感を感じるのでバスをよく利用しました。バスの2階の開放感がうれしいですね。
普段着にはジーンズをよく使用してました。このジーンズのおしりのポケットなのですが、日本製、または日本で販売されているジーンズの尻ポケットはかなり浅いのです。香港でジーンズを買うとかなり深くて財布などを入れておいてもポケットの中に入り込みます。
とある日、日本製のジーンズでバスに乗り込みました。停車駅が来て席を立ち出口へ向かうと後から「ウォー!」とうなるような声。広東語なので意味が分からず振り返って見ると、初老の乗客たちが私に目で座席の方を指します。見ると私の座っていた席に財布が....
ジーンズの尻ポケットに入れておいたのですが、ポケットが浅いためでてしまったようです。『あ、助かった』と思い感謝して財布をとりに座席へ。
買い物はキャッシュカードで決済することが多いので、財布に現金はあまり入っていないのですが、身分証、銀行カードなどが入っていて落とせばかなり面倒なことになる所でした。いろいろな日本人に香港はぶっそうだとか聞かされていたので、この時はうれしく思いました。
今は香港人の住居付近ではそんなに気を遣いませんが、尖沙咀などの観光地に行くと気が張りつめ治安に敏感になります。日本でもどこでもそうなのでしょうが不特定多数の人が集まる所は危険があるように感じてしまうのです。深圳なら東門市場、華強路というところですね。何か被害にあったというわけではないのですが。
初めて中国(深圳)を訪れてからもう14年、当時の面影はもうどこにもないくらいに変わりました。建物も服装も全く変わりました。
結局治安とか安全というものは、貧しさ豊かさでも大きく変わるものなのでしょう。
「衣食足りて礼節を知る」の意味がよく分かります。日本でも敗戦直後にヤミ米を食べなければ生きていけなかったと親から時々聞かされてました。「ギブ・ミー・チョコレート」、礼節もあったものではありません。ヨーロッパにしてもコショウとか香辛料を買うお金を得るために同民族を奴隷として売ったと言います。やっぱりどこの国でも似たような経過をたどるのかも知れません。

裕福な香港人仲間達 香港は共稼ぎが基本で給料に男女の区別はありませんから、2人分合わせるとおそらく日本の専業主婦家庭に比べて裕福です。その余裕が財布を落としたことを教えてくれるのでしょう。中国(深圳)も同じ。
もう何年も前、香港人に「日本の街は綺麗のに深圳はどうして汚いと思うか」と聞かれて「まだ貧しいから。10年もしたら綺麗になるよ」と答えました。10年も必要なかったみたいですね、今は急速に綺麗になってます。
最近は中国人と食事を一緒にしたりすると時々おごってくれたりします。14年前ではとても考えられなかった出来事です。
礼節を持つためにはある程度の豊かさが必要ですね。
雑感 - 香港人【5】 私の引っ越しと香港人
香港九龍の藍田に住んでいた頃、中国での仕事が増えてきました。
藍田から深圳ボーダーの羅湖までは地下鉄MTRと鉄道KCRを乗り継いで1時間かかるので頻繁に中国へ行くのには不便です。
で住む所をどうしようかと迷っていた頃。
ある香港人が「どこに住むか決めたか?」、私「まだ・・・」と言うのが少し続いてとある日。
私「引っ越しする」、彼「わかった」

牽晴間 自分で探すつもりをしていたのですが、彼はさっさと段取りをして粉嶺の不動産屋に私を連れて行きました。そこで、牽晴間(広東語でヒンチンカンと聞こえます。英文名:Dawning Vies)と言うマンションを見て回りました。考えてみるとDawning Viesというと夜明けの風景とでも言うのでしょうか、ロマンチック。
彼が私にどこに住むか決めたか、と言っていたのには理由がありました。
以前「そろそろ中国の仕事も多くなるし、住む所はもっと北の方がいいのではないか」と私が彼に言っていたのですが、私を粉嶺の不動産屋に連れて行った時、なんと彼はすでにここにマンションを買ったのです。手回しがいいはずでした。
(写真は牽晴間)
いくつかの部屋を見ましたが、ちょっと前の住人の使い方が悪いのか・・・でも建設されたのが新しいので設計コンセプトは最新といえるものでした。
ここで数回の打ち合わせを経て引っ越しました。よい点はのどかなこと、家賃が安いこと。藍田(Sceneway Gardenです)の時の半分です。5600HKD。
彼は打ち合わせごとに付き合ってくれまして、もちろん引っ越しも手伝ってくれました。ちなみに引っ越しの助っ人は香港人二人に日本人ひとり。まあ、荷物は少しだけですが..おかげで引っ越しのトラック代が1000香港ドル、1万6000円と格安。
「オーナーは鍵を新しくしたと言っていたが信用できない」と言い、鍵を買ってきてつけ替えてくれました。もちろん鍵の費用500香港ドルは私が出します。あと、彼がマンションを買ったためでしょうがドリルを買っていましたので、これを借りてきて私もキッチンのタイルにドリルで穴を開けてフックを取り付けたり...

彼と奥さん お互い住居が近くなったので時々、近くのレストランに食事を誘ってくれました。彼の奥さんも一緒です。彼は2001年2月に結婚しました。結婚式は身内だけということだったのですが彼のある友人の香港人と共に招待してくれました。
以前、私が藍田のSceneway Gardenに住んでいた頃、家の方で結婚についてもめ事があった様子で夜遅くに私の家にやって来ました。帰りたくなさそうだったのでその日は私のマンションに泊めたことがありました。
彼が優しいのはその時の義理を感じているのでしょうか、それとも・・・ちょっと興味がわきます。
雑感 - 香港人【6】 めがね屋で
日本で買ってきためがねがお尻の下で壊れてしまったので買わなければならなくなったときのことです。
以前めがね関係の仕事をしていたという香港人同僚がめがね屋を紹介してくれるというので彼と待ち合わせて出かけました。九龍湾にあるめがね屋さん。
測定をしてめがねを作ってもらうのを待つ間に、同僚の紹介だというので店の主人、そのお父さんなどと5人ほどで食事に出かけました。お父さんはそこそこ高齢で戦後香港に出てきた様子。普通の気のよいお父さんの上品なイメージできれいな北京語を話します。
食事が進んだときにお父さんは私に戦争時代、もちろん太平洋戦争の話をしました。アルバムを持ってきていて懐かしい戦争当時のある仲間の写真を見せながら説明してくれます。あいにく中国語の能力がついていきません。
そしてお父さんは日清戦争でどうして小さな日本に負けたのか不思議だ、と言います。ここへきてそれまで不愉快な顔を隠そうとしなかった若者たちの顔がお父さんに対していっそう批判的になり、空気を察したお父さんもトーンダウン。お父さんは私に「あなたは戦後生まれなのですね?」「そうです」と答えます。お父さんはそれで納得しようとするように話をおさめました。
このときのめがねは「JAPAN」の文字のあるチタン製フレームに日本製のプラスチックレンズ。500香港ドル(8000円)。今も健在、もう5年以上使っています。
私はこういう話を持ち出されたことになんの不快感も感じませんが、言葉が思うに任せず自分の考えをうまく言えないのが残念でした。
もし、あるデパートでテレビを買ったけれども、テレビが故障。買ったデパートへ持って行くと、店員が変わっていて「私が売ったものではないから、私に責任がないのでどうしようもできない」と言われたら・・・・
私は戦後生まれ、直接戦争の責任はないと思っていますがこのデパートのように日本人として後のフォローをする責任はあると思っています。その代表者が政治家だとは思っていますが、私たちのような一般庶民としては普通に隣人として仲良くしていきたい気持ちでつきあえばいいと思っています。
マンションを探していた時、深圳のあんま屋にお茶の机を置いてお茶のサービスをしてくれるところがあって中国人の客たちとお茶をよばれながら話をしたことがありますが、政治の話になり、ある中国人に「小泉純一郎はタカ派だろう」と言われたことがあります。(彼は私の筆談帳に「日本鷹派」と書いたのでタカ派のことだと思います)
こういう話はこちらに長く住んでいると話題となるのは仕方のないことですが、自分の考えというのははっきりしておいた方がいいのでしょうね。
こちらに出てきている日本人に、たまにはっきりアジア蔑視していると思える人や言葉汚く香港、中国をののしる人を見かけますが、おそらくウマが合わないのでしょうね。ただ、現地人に限らず、ほかの日本人が聞いてもいやな感情を持つと思うのですが。
私はふるさとが奈良、家の周りには中国との関わりの遺産がたくさん残っていて小さいときから興味を持って見ているので中国に対するイメージは悪くないのです。もちろん個人差がありますけどね。
雑感 - 香港人【7】 香港永久性居民申請で
考えてみれば私の知人には日本人の香港永久性居民が6-7人いるわけですが、その中の一人にフィリピン人と結婚して子供2人ができた人がいます。

永久性居民IDカードとIDカード正式発行までの仮証明書 香港では正規に7年以上在住すると永久性居民(永住権も含まれます)の申請をすることができます。子供は4年(うろ覚えです。要確認)だとか。
彼らが香港永久性居民の申請をするとき彼と奥さんの二人は香港在住7年以上、ひとりの子供は規定以上なのですが、もうひとりの子供はまだ規定に達していません。
ただ香港の役人の判断が家族3人が永久性になるのであれば1人だけ除外するというようなことはしないのでとにかく申請しなさい、ということだったようで、彼らが申請するとまだ条件に満たない子供も含めて家族全員が永久性居民となったということでした。
以前、イギリス占領時代の香港に中国や他の国からの無籍者が増えたとき、香港政府が戸籍を与えることを条件に申告するようにした、という話を聞いていました。もっともこれは香港というよりイギリスの処置で、いろいろなおもわくがあってのことでしょうがこれはいろいろな国と地続きである国なら日常茶飯事のことかも知れません。今の時代、四方が海でもそんなに孤立しているとは言えなくなってきています、
法は人民のの幸福というものが原則にあるべきものでしょうし、事情により、原則のために法を曲げて解釈することも必要かも知れません。
日本で最近不法滞在の話がよくニュースで流れていますが、まだこういう問題になれていないのか見解がまちまちになっているようです。香港政府ならどういう判断をするだろうかと興味のあるところです。
のあるメニューはポップメニューが表示されますがIE系ブラウザの場合はIE7から表示可能です


< 作成者: Sceneway >
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