FC2ブログ
27 記事  2 ページ
2007.06.01 中国深圳初内装日記(92) ガス開戸手続き (2005.4.28)2007.06.02 中国深圳初内装日記(93) ガス開戸準備、房産証準備など (2005.4.29)2007.06.03 【深圳 春】 深圳雨もよう2007.06.04 深圳生活ファイル2007.06.05 香港初在住日記(94) メーデー (1997.5.1)2007.06.06 香港初在住日記(95) 「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー (1997.5.7)2007.06.07 福田区 紅樹林海浜生態公園2007.06.08 中国深圳初内装日記(94) ガス開戸手続き成功 (2005.4.30)2007.06.09 中国深圳初内装日記(95) 洗面台購入 (2005.5.1)2007.06.10 【深圳 春】 深圳 降り続く雨に2007.06.12 香港初在住日記(96) 中国工場から恵州へ出張 (1997.5.9-10)2007.06.13 香港初在住日記(97) ある香港人の若者 (1997.5.11)2007.06.14 古代都の汚水処理2007.06.15 中国深圳初内装日記(96) 照明購入 (2005.5.3)2007.06.16 中国深圳初内装日記(97) 照明、浴室小物を購入 (2005.5.4)2007.06.17 回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年 - 返還日アルバム2007.06.19 香港初在住日記(98) 自宅に香港人を招待 (1997.5.18)2007.06.20 香港初在住日記(99) 胆石手術のため帰国へ - 帰国寸前の大騒動 (1997.5.20)2007.06.22 中国深圳初内装日記(98) 装飾設計公司の検査員 (2005.5.5)2007.06.23 中国深圳初内装日記(99) あ、水道管が・・・ (2005.5.7)
► 次のページへ

2007.06.01 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(92) ガス開戸手続き (2005.4.28)


【92】  2005年4月28日  ガス開戸手続き

今日は大理石屋が来る。
香蜜山に着く前に大理石屋が着いたと電話が入る。そのあと香蜜山の管理所から、さらに南山の大理石屋事務所からも電話が。
10分ちょっとで到着。工事人が西門で待っていた。

彼らを部屋に通したあと工事は任せてガス会社に行く。
ガス管を下の方へ移動させる必要があるが、開戸しないとガス管のルート変更工事をしてもらえないとのこと。まず開戸してガス屋が下見に来て変更ルートを決定、その後孔あけなど準備工事をしてから再度ガス屋を呼び再びチェックしOKであれば工事をするという手順。
昨日調べてみたらガス会社には既に開戸費用は払っていた。あとは手続きだけで良いはず。
管理所にはガス会社に行かなくても電話でいいと言われたが、初めてなのでどんなところか、どんな感じか好奇心がある。それに言葉の問題もあって行った方が手っ取り早い。
景田酒店の近くの事務所はすぐに見つかった。受付でコンピュータをたたくと、開戸されていないとのこと。?。もう一度マンション管理所で調べてみよう。

とりあえず腹ごしらえ。景新花園の前で粥を食べてから、香蜜山に戻ると管理所は昼休み。
その間に楽安居へ。角阀(水栓)を追加で2個買い、引き戸の引き手を3個買う。通りすがりに拖把池(ベランダ用の流し台)を見かけてこれも購入、配達料込み190元。ここでの洗手盆(衛生間用の手洗い)がいいなと思ったのでしばらく話し込んでいく。2つの衛生間分だとだいたい4,300元程度必要。しかし、決まったら電話で値段交渉をすると言っている。しかしながら、色に悩むところ。とりあえず即決はしない。
(写真は拖把池。その上に角阀(水栓)がある)

拖把池のためにベランダ用に洗濯機用の地漏(排水目皿)を買う。
大理石の工事人から電話、終わったので見に来てほしいと。バスを探してみたがマンションへ行くのは困難そうであきらめてタクシーで帰る。ほんとにここは香蜜山にとってバス交通が不便だ。

彼らと共に作業を確認する。牙加白の厨房の门槛(敷居)が大きいと思っていたがきっちり収まっている。トイレ2つもうまく入っていた。かなり加工したのだろう。沙岩は上部の切り取った部分が余っていた。斑点はうまく避けて使っている。全体が出来てこないとピンとこないが少し暗いかも知れない。彼らは456路のミニバスで帰るというので僕1人が銀行へ行って残金を出してくることにした。金額は合計5919元、定金(手付け金)が1300元入れてあるので残り4619元。余ったらご飯でも食べてくれと言って4700元を渡す。

 
管理所へ行ってガスの開戸について尋ねる。売買契約書なりの書類が必要らしい。僕の場合一部をローンにしているので銀行にも関係するようだ。ガスの開戸もなかなか面倒だ。
ついでに房産証(権利書)の手続き方法を聞いておく。

411路のミニバスで華強北の吉野家へ行き牛丼を食べる。再び411路に乗って羅湖へ。乗客はほとんど羅湖駅に行くと言うのでJUSCOへ行くというひとりを別の411路のミニバスに移して近道で羅湖駅へ。思いきりすっ飛ばしてあっという間に駅に着いた。

22,400歩

壁塗りがだいぶ進展してきました。

作業者の横に立てかけてある白っぽい棒はアルミの角材で平面度をチェックするのに使っていました。
 

 

だんだんいい色に見えてきます

2007.06.02 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(93) ガス開戸準備、房産証準備など (2005.4.29)


【93】  2005年4月29日  ガス開戸準備、房産証準備など
羅湖駅から1路のバスで田貝四路へ。昨日それらしい電話がかかってきて筒灯を受け取りに行ったつもりだったが、間違えたようだ。
5月1日に入荷すると言う。5月1日から連休ではないの?。いずれにしても時間がかかりそう。

近くの店でクローゼットや引き出しにつける鍵を見る。10元という。あんま湯船の近くのあの小姐の店は6元と言っていたもの。やっぱりあの店へ行こう。
彼女は僕が2回目ということでにこっとした。ここは前の購入時の感覚で僕の良心店リストに入っている。鍵、30mmの金色がなかったので銀色の物に。「6元?」と聞くと「OK」。

次は地王ビルにある永亨銀行。房産証(権利書)の申請に必要な契約書のコピーをもらうため。1路で引き返し地下鉄で地王ビルへ。入伙(マンション引き渡し)時の案内書を見せて「これ、これ。」と指さしで。相手はよく分かっていなかったが適当にコピーしてくれた。見るとローン契約書。でもこれ、僕も持っていないとダメだろう...

香港ドルでローンを組んでいるので返済は香港ドル。ここは香港系の銀行で香港ドルの小切手もOK。その場合、10万ドルまで手数料50元だという。ちょっと考える。香港の銀行から送金すると150ドルぐらいの手数料が必要なのでこれはポイントだ。振り込みするよりも小切手で入金する方が手数料が1/3になる。でも銀聯のキャッシュカードはないという。これは大きな問題。当面、ローン返済で小切手を使ってみよう。

近くで工事していた中国工商銀行ができあがって営業していたので寄ってみる。ついでに香港の小切手が使えるかどうか聞いてみた。使える、と答えが返ってきた。ちょっと朗報?もう少し調べてもう一つ口座を作ってみようかな。(あとで招商銀行にも聞いてみましたがここはだめでした。工商銀行っていいのかな)

104路で香蜜山へ。部屋の内装工事は今日は2人。でもかなり壁塗りが進んでいる。もうそろそろトイレなどの設置工事手配を出来るのではないだろうか。

会所の2階に寄って昨日言っておいた売買契約書を受け取る。書いてある事柄を確認してみた。驚いたことに僕の国籍が「中国香港」となっていて香港のIDナンバーが書かれている。パスポートナンバーはない。こんなんで後々問題にならないのだろうか...一抹の不安..バイバイ契約書?



時刻も早いので景田へ言って散髪とマッサージをする。
411路のバス。もう8時をすぎていたせいか、せっかく華強北はすんなり行ったのに、ジャスコの手前で渋滞に引っかかる。ここはすんなりとはいかないけど、こんなに混むことはないはず。しばらく行くと公安の車が数台止まっていた。何か事故でもあったのだろうか。事故車らしい車は見あたらない。
粉嶺で吉野家の牛丼。

16,000歩





 

 

2007.06.03 カテゴリ: 四季の日記 

   【深圳 春】 深圳雨もよう


【深圳 春】 深圳雨もよう
2007年 06月 03日


2005年7月


2007年5月


雨のバス停 2006年9月


2006年10月


紅樹林生態公園 2007年5月


紅樹林生態公園 2007年5月


桃源村 2007年5月

2007.06.04 カテゴリ: 生活 

   深圳生活ファイル


【深圳生活】 深圳生活ファイル
2007年 06月 04日

どこに生活しても広告宣伝チラシのたぐいは郵便受けに投げ込まれます。
知らない街で生活を始める時にはこの情報も重要なものです。

入居時、給水器を買って水をどうしようと思っていた時うまい具合に名刺が・・・
管理所もここを使っているとのことだったのでとりあえず電話。値段を聞き「益力」というブランドの水を配達してもらったのが始まりでした。



20元でしたが、のちに友人が18元で買っていることが分かり値切り交渉。成功、今は18元。

ほかのコレクションの一部です。PCのデスクトップにファイルを置いています。

新しくCOCO-ParkにできたJUSCOの無料送迎バスの運行路線図


おなじみピザハット




クリーニング屋さん。香蜜山にあるスーパーマーケット内に連絡所があり、配達もしてくれます。


いやに安い家政婦。単発で1時間10元、月極で、週1回、1ヶ月8時間で68元は安い。


食事の出前


家電修理



簡体字が編隊を組んでますね。
「専業維修:分体(セパレート型空調)、柜式空調(ウィンドウ型空調)、中央空調(セントラルクーリング)、冰箱(冷蔵庫)、冷庫;電視(テレビ)、音响(オーディオ)、・・・・」

2007.06.05 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(94) メーデー (1997.5.1)

【94】  1997年5月1日(木)  メーデー

おとといの火曜日に中国工場にやってきた。深圳の駐車場でずいぶん久しぶりに「DAIWA」と書かれた車があった。ほんとに懐かしい。でも誰も乗っていなかった。

そして今日5月1日の中国工場はメーデーの休み。しかしながら香港族(日本人も含んで)は香港の休日に合わせて働くので中国にいても今日は出勤日。
協力工場へVCDの試験結果を見に行く。NG。4台不良、いやな予感。
工場に帰ってテスト。
夕方100台のエージング機のチェックと再テストのため作業員とともに再び超芸へ。

夕飯を近くの飯屋に食べに行く。
食後作業を始める。どうしてこれで動いているのかと思うような不良がいろいろ出てくる。10時過ぎ終える。
明日は6時起床か・・

「Daiwa」は私が大阪で働いていた頃の関連会社です。香港で働か ないかという誘いはあったものの、海外を知らなかった私はリハーサルのため、日本で設計し香港の会社に生産を依頼、香港の会社の中国工場で生産する、という会社に入社しました。
で、生産時は出張で中国にやってきていたのです。そのときの車でした。ほんとに懐かしかった。

当時、私は訪問客になりますので毎日入門帳に書き込まなければなりません。面倒なので一時的に社員証を発行してもらいました。「電子工程師、日語」と書かれています。中国では技術師は工程師となります。

ま、香港へ来て就職する以前のエピソードです。

2007.06.06 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(95) 「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー (1997.5.7)

【95】  1997年5月7日(水)  「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー

今日は中山市にある「愛多」というビデオCD機製造会社へ出かける。自分の仕事ではないが日本人同僚とでかける。

昼食後、深圳の営業マン2人とともに出発。新しい橋ができたのでそちらを通っていくようだ。
景色、道路など、初めて中国へ来た頃とはずいぶん良くなったような気がする。最もこのあたりは知らない所だけど。これなら日本の田舎の風景と変わることがない。ただ違うのは田舎なのに道だけが広々と走っている。新しい住宅もどんどん建っている。工場から間もない所にも新しい住宅群ができているが、なかなか売れず値段がどんどん下がって今は60万元ぐらいだという。

1時間半ぐらいで愛多に着く。橋がなかった頃はフェリーでまったりしてけっこうかかったらしい。
愛多は一つのビルを借り切って社屋としているようだ。6階建てというより5階半。6階は屋上、そこに技術の部屋がある。屋上では若いワーカーの女の子たちが何か勉強会らしいことをやっている。

技術の部屋で仕事をしているとまもなくたどたどしく僕を呼ぶ声が聞こえる。振り向くとひとりの中国人男性。見覚えがあるような気がするがよく思い出せない。「DAIWA」という言葉でみんな分かった。確か張氏だ。あの毛沢東と同郷だと宣伝していたあの彼だった。本葉に懐かしい。彼の仕事場は別のところだが用事があってきていたと。台和を辞めていくつかの会社を変わり愛多は2ヶ月とのこと。びっくりするほどの偶然だった。
しばらくして彼は握手をして職場に戻っていった。中国に来て初めての中国人知人との再会に少し興奮した。

帰途。5時半に愛多を出て6時半過ぎ工場に戻る。1時間ちょっとだ。橋のおかげで夕食に間に合った。


愛多はブランド名を「IDALL」といいジャッキー・チェンをコマーシャルに起用して、当時はShincoなどとVCD機のシェアを分けていて、中国ビッグ3でした。当時、中国メーカーのビデオCD機の製造といえば、電気回路が組み立てられた基板を他社から購入して組み立てていました。愛多でも数社から基板を購入していました。私のいる会社も基板を供給していました。

中山市へは初めてで諸相の景色も興味深いものでした。住宅がなかなか売れず価格が下がるって今から見ると不思議な感じですね。
この60万元の物件は周りを塀で囲われて門に管理人のいる純別荘というもので広々と作られていました。別荘といってもただ単に戸建ての家のことで、今なら普通は高層マンションに併設してあるのですが、この物件は戸建ての家だけで構成されていました。ちょっとへんぴな所。
今ならあの場所でも60万では買えないでしょう。たぶん10倍は必要でしょう。

(写真:純別荘西麗山荘)


2007.06.07 カテゴリ:深圳の山と公園 >  深圳湾公園・紅樹林海浜生態公園 

   福田区 紅樹林海浜生態公園


 福田区 紅樹林海浜生態公園

2007年 06月 07日

紅樹林海浜生態公園と深圳湾大橋
koujurin070607-1_600.jpg



 


紅樹林(マングローブのこと)付近は渡り鳥の中継地とのことでたくさんの野鳥を見ることができます。散歩中にもたくさんの鳥を見ました。野鳥観察用の説明が数多くありました。

案内板によりますと深圳市紅樹林海浜生態公園(深圳市红树林海滨生态公园)は1999年に建設され2000年12月、一般に開放、総面積21ヘクタール。紅樹林を保護するため浜海大道の計画を北に 200メートルあまり移動させたとのことです。



ここからは香港が見え、新しくできた香港と深圳にかかる深圳湾大橋の全貌を望むことができます。海岸線は立ち入り禁止になっていて一段高くした遊歩道があってここから眺めることになります。
遊歩道から浜海大道までの間は大きな緑地帯になっています。

5月の連休の時はめちゃ混みでしたが、予想に反してゴミが少ない・・マナーが良くなったのでしょうか・・


山は香港、ビルは深圳 クリックすると大きくなります














紅樹林と香港
























5月の黄金周のとき。(中国のゴールデンウイーク)


蹴羽根とひざまくら
  



雨もよう




2007.06.08 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(94) ガス開戸手続き成功 (2005.4.30)


【94】  2005年4月30日  ガス開戸手続き成功
今日のメインはガス会社へ開戸手続き。
ガス会社の事務所のある景新花園で338路のバスをを降りてまずご飯を食べる。その後、ガス会社へ。

この前管理所でもらったガス管の経路変更(改管)手続きの資料で、開戸手続きで準備するものは、身分証とそのコピー、支払いの自動振り込みのための銀行通帳、開戸費の領収書、権利書もしくは売買契約書の4つ。
用意してきた身分証のコピー、中国工商銀行の通帳を掲示、香蜜山との契約書を見せる。香蜜山のやり方が分かっているのか開戸費800元の領収書は必要なかった。パスポートも不要、香港のIDカードでよかった。5月1日から3日まで休みなので改管は5月4日以降になるとのこと。

窓口の小姐というかおばさんに「韓国人か?」と聞かれる。ここらあたりは韓国人が多いらしいので中国人でなければ韓国人ということになるのだろう。「日本人」と答える。
手続きはすんなり終わった。
(この頃はまだ石油気化ガスでのちに天然ガスに変更されました)


再び338路のバスで崗廈のホームセンター、世紀中心へ。目的は衛生間の洗面台を見るためだがいつものように好奇心の道草が多い。木目の大門(玄関の門)を見ると安い物もあるが見た目も安っぽい。前に行ったところが一番高級感がある。ただ高い。
聞いてみると、一番高いのは4200元で、安いのは3900元、これを3300元にするというがまだ高い。もっと探してみよう。


最後に前にいいと思っていた洗面台へ、3回目。店員も3回目だとよく覚えている。しかしブランドがおととい上沙のホームセンター、楽安居で見た物と同じことに気づく。ブランドは「園林」(园林、Gardens)だった。同じカタログもあった。店員は楽安居に「園林」の店ははないはずと言う。いろいろ説明して偽物ではないと思った。
それならば楽安居の方で話が煮詰まっているので向こうで買うのが筋だろうと思ったので、その旨伝えてこの店は辞退する。
しかし2カ所で気に入ったというのはこれで決めろと言うことかも知れない。楽安居で手付けを打とう。

再び338路に。325路に乗り換えて香蜜山へ。もう7時近くになっていて皆帰っている。暗くなってきてよく分からないがかなりできあがっている様子。

もう遅いので明日楽安居に行くことにしよう。タクシーで東海坊へ行ってご飯を食べて地下鉄で帰る。途中、楽安居の「園林」の小姐から電話がかかってくる。心配しないで、もう決めたから。

14,100歩

2007.06.09 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(95) 洗面台購入 (2005.5.1)


【95】  2005年5月1日  洗面台購入
疲れてる。休みたいけどあと少し。
362路でホームセンター楽安居へ衛生間の洗面台を買いに行く。
先客がいた。商談がまとまっているようで、しばらくして手付けを払っていった。
こちらはもう決めてきたつもりだったが小姐は「これは?これは?」と次から次へと出してくる。決めようとすると、他にこんなのもある、と出してきてまたじっくり見直したり...相手のペースで付き合わされている気分になる。ま、ともかく昨日決めたのに少しアレンジを加えて決定した。
主衛生間と公衛生間の2つ分、合計3,500元、手付けを500元払う。カタログをもらう。



 近くの鉄門屋で寄り道。木目の物には国産の鉄のもの、輸入物(韓国製)があり、韓国製を使用した物は中をくりぬいてガラス窓としているし、国産の物は全面が鉄で出来ている、という説明。国産は900元/㎡で大小門(大きな扉と小さな扉が観音開きになったタイプ)の場合だいたい2200元ぐらいだという。韓国製の場合50%増し。だいたい世紀中心と同じ値段。

香蜜山へ。今日は1人、壁を塗っている。メーデーの休みか...
とりあえず今日も一つ済んだ。
香港へ戻って粉嶺で食事。

7,600歩

2007.06.10 カテゴリ: 四季の日記 

   【深圳 春】 深圳 降り続く雨に


【深圳 春】 深圳 降り続く雨によせて
2007年 06月 10日

深圳はこのところ雨ばかり。朝目覚めれば雨、激しく降り続き、時折雷を伴って。
なぜか週末に雨が多いような気がします。
2005年、ここに入居したのですが、このときも7月から8月にかけて夕立のような激しい雨がよく降りました。

雨で思い出すのが混声合唱組曲になっている高田三郎作曲の「水のいのち」の中の「雨」。


降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
立ちすくむものの上に
また
横たわるものの上に






雨の深圳


初めてこの曲を聴いた時、めちゃくちゃ心の中に入ってきてCDプレーヤーをRepeatにして何回も何回も聞き続けました。
今でも好きな曲で、日本にいた頃、旅行に行って雨が降るとウォークマンで必ずこの曲を聞いていました。


高野喜久雄 詩

降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
立ちすくむものの上に
また
横たわるものの上に

降りしきれ 雨よ
降りしきれ
すべて
許しあうものの上に
また
許しあえぬものの上に

降りしきれ 雨よ
わけへだてなく
涸れた井戸
踏まれた芝生
こと切れた梢
なお ふみ耐える根に

降りしきれ
そして 立ちかえらせよ
井戸を井戸に
庭を庭に
木立を木立に
土を土に

おお すべてを
そのものに
そのもののてに


MP3が見つかりました。聞いてみてください。
 混声合唱 雨  元ページ →  Chanter 
 男声合唱 雨  元ページ →  ようこそホームページへ 

2007.06.12 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(96) 中国工場から恵州へ出張 (1997.5.9-10)

【96】  1997年5月9-10日(金-土)  中国工場から恵州へ出張

週末。今日は香港へ帰るつもり。よけいな話は聞きたくない。でもこういう日に限って・・・

無事1日が終わりそうに思えた夕方4時半。VCDの件で恵州のカスタマーへ行けと開発部同僚の日本人に社長から指示。
彼は心情穏やかではなく、ささやかな抵抗をしたが最終的に承諾。
僕もつきあうことになった。僕は恵州は初めてで好奇心があるので抵抗はない。
PEトップの日本人といろいろありながらPE(生産技術)の中国人に一緒に来てもらうことになった。

夜7時45分、会社の車で恵州へ出発。あたりはすでに真っ暗。東莞のこの工場からは120kmぐらいあるらしい。
2時間ほどで恵州に着く。いつものことながら何度も何度も道路の通行費を支払う。
「西湖大酒店」に一泊することにする。フロントには480元とある。3割引になった。

恵州は初めて。が暗いので辺りの景色がよく分からない。明日分かるだろう。チェックインは10時前、3階で飲茶とビール、コーラ。3人で2時間ほど話をする。


恵州西湖



モーニングコールで起きる。テレビをつけてみると6時59分。フロントに8時で頼んでおいたのに1時間違っている。まあ仕方がないか。少しベッドでうとうとする。
8時にバイキングの朝食のあと9時前、タクシーで出発。

グレートウオール(長城)へは15分ほど。会社は大きい。従業員1万人ぐらいという。香港系の会社でエライさんは香港から来ているらしい。
最初話をしたグレートウオールの品管の人は香港人だった。昼食前、土曜日の半ドンで彼は香港へ帰っていった。さすがよく割り切っている。で、昼食は近くのレストランで中国人スタッフが相手をしてくれる。

昼食後ふたたび仕事場へ。当方のPE氏は品管にインタビューして試験方法をどうしたかなど聞いている。彼はしっかりした印象を与える。元々先生をしていたらしいがイメージが合う。

午後4時半、一応仕事を終え、PE氏はタクシーで我々の東莞工場へ。僕たちはタクシーで深圳に向かう。深圳へは1時間ちょっとかかった。

香港藍田に7時半ごろ帰宅。日本時代の同僚から電話。今香港にいるらしい。22日まで滞在とのこと。僕は普段中国なので僕のアパートを宿泊所に提供することになった。



恵州西湖




万里の長城は英語でGreat Wall。この名前を冠したGreat Wall Groupという会社があります。
考えてみるとVCD基板の不具合問題で出張となったわけですが、社長にしてみれば週末を返上して打ち合わせに来たというポーズをしたいのでしょうね。対する出張者とPEトップは香港に帰りたい気持ちが強く抵抗したのでしょう。
ただ、香港人が土曜日の昼に帰ったようにどちらかといえば週末に来られて迷惑、という印象であまりねらい通りには行かないようです。事情が違いますから。それぞれ、早く香港に帰りたいのですね。

2007.06.13 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(97) ある香港人の若者 (1997.5.11)

【97】  1997年5月11日(日)  ある香港人の若者

22日まで部屋を提供することにした日本時代の同僚から電話。荷物を持って来るという。友達が手伝ってくれるといっている。
3時半ごろ、若い男性を連れてやってくる。友達の友達らしい。香港人。英語を話す。
年齢は23歳、スタンダードチャータード銀行勤務。去年結婚をしたが住む所がなく、二人ともそれぞれまだ両親の家に住んでいるという。彼が住んでいる所は沙田。300スケアフィート、28平方メートル。そこに両親と兄弟4人が住んでいるという。信じられない。これが香港庶民の実態なのだろうか・・・
彼がここに入るなり広い、広い、といったのがよく分かる。それでもここは680スケアフィート、63平方メートル。

今日、彼に香港を案内してもらうらしい。珈琲を飲んだあと二人は出て行った。

7時頃までのんびり。米をセットしてヤオハンへ。餃子にする。キャベツと卵も買う。ヤクルトも。いつものパターン。
食事を済ませ風呂に入る。
夜11時頃二人は戻ってきた。彼はバスがなくなるからとすぐ帰って行った。

聞くと彼はキャセイの弁当関係の仕事を5000香港ドルの給料でやっていて恒生銀行に移り、その後、今のスタンダード銀行に移ったらしい。現給料は9000香港ドル。

彼のような境遇が一般的な香港の庶民なのでしょうか・・・
そう言えば仕事の香港人の相方も300スケアフィートの部屋だとかいっていたような・・・
これが占領地となった庶民だからなのか、時代がそうだったのかは分かりませんが辛いですね。


香港島や尖沙咀に比較すると格安の上水の中古マンションの値段。
庶民にはまだまだなのでしょうか・・・

私の子供時代は3畳4.5畳6畳の3部屋で6人家族。まあ、京間の畳数なので大きい目ですが、文字通り川の字になって寝ていました。

2007.06.14 カテゴリ: 趣味・興味 

   古代都の汚水処理


 古代都の汚水処理 
2007年 06月 14日

今日も深圳は雨模様、夕方には激しい雨と雷。山の向こうに一条の雷が落ちていくのが見えました。
ベランダにある掃除用具は風雨でベランダ中を駆けめぐります。
最近の日課です。


さて平城京に十条大路が見つかったみたいですね。
asahi.com
十条大路を発見 平城京、定説より大きかったこと確実に
  2007年06月13日

奈良県大和郡山市の下三橋(しもみつはし)遺跡で、奈良時代の首都・平城京(710~784)の十条大路跡(8世紀初め)が出土した。同市教委と元興寺文化財研究所が13日、発表した。従来、京の南端とされていた九条大路の南では道路跡が数カ所見つかっており、十条大路の存在が確実視されていたが、大路遺構の確認は初めて。




以前、偶然にらしきものが見つかって可能性が言われていたものですがこれではっきりしたわけです。
でも平城遷都後20年で廃絶されたようなので、おそらく整地だけで建物はなかったのではないかと想像しているのですが・・・まあ形だけの十条でしょう。

先代に当たる藤原京も私が学校で習ったのは大和三山の内側の範囲でしたが、今は大和三山を含むとされています。周辺地区に建物はあったのでしょうか・・

新日本史より


藤原京からの遷都の理由は分かっていないのですが、初めての都市建設となった藤原京で汚物処理に行き詰まったとの説もあるとか。

ちょっと興味のある話で、先日紹介しました龍崗の 客家民俗博物館 、そのことをちらっと思いながら見学していました。
ここは汚物処理をどうしていたのでしょうね。
玄関口に排水の出る台所とトイレが配置されていましたが外の排水口に近いためでしょうか。トイレはやっぱりため式?





2007.06.15 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(96) 照明購入 (2005.5.3)


【96】  2005年5月3日  照明購入
宝安北路の楽安居方面へ。照明を探すがなかなかいいのがない。ソファーを見たり椅子を見たりと脱線。
441路のミニバスで田貝四路へ。照明をウインドウショッピングしながら進み、筒灯(ダウンライト)を頼んである店に。あのときの彼がいないので電話をかけたりしながら聞いてくれる。長い時間待ったあと、これは在庫がないとのこと。それならもっと早く僕に連絡すべきだろう。他の物を見てくれと言うが、その気分になれない。返金してもらう。200元。

別の店で違う筒灯を。寝室と多効能房の照明を買う。明日の午後、送ってもらうことになった。

12,800歩


買った照明。 主寝室用はちょっと地味でした。
左 多効能室用 電球別で330元(当時の為替で4500円)
右 主寝室用 230元(3000円)

2007.06.16 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(97) 照明、浴室小物を購入 (2005.5.4)


【97】  2005年5月4日  照明、浴室小物を購入
まず下沙にある楽安居へ。残っている照明関係を買う。門口の3つの筒灯(ダウンライト)、キッチンの4つの筒灯、多功能室のクローゼット横の射灯(スポットライト)を買う。

(写真上がスポットライト 豆球で照射方向を調整できます。下はダウンライト 節電スタイルのコンバータ電球を使います。12~25元程度)

あと衛生間のシャンプー台やバスタオル掛けなどの小物関係、小物といっても値段はかなりだ。どうしてこんなに高いのだろう。中身はみんな銅だと言うが...さっきの照明で荷物をいっぱい持っているのでこれらは明日配達してくれるという。

(写真はカタログです。中国で作っていますがイタリアブランドのようです。ムクの木材を使っています。
2段になったシャンプー台239元、3200円、1段2列のタオル掛けが128元、1700円。)

昨日の照明を買ったところから電話が入る。今日はまずいので明日配達したいとのこと。明日の午後に重なってちょうどいいかもしれない。

香蜜山に買った照明を置きに行く。
今日は二人で白セメントの部分をペーパーで磨いていた。それにしてもいつになったらできあがるのか...
このマンションは地上18階建て、地下2階。地下は駐車場になっている。上の方はまだ内装工事をやっていないので12階あたりから階段を歩いて下りながら内装工事をやっている所は中へ入って見学する。みんな連休をやっているのか静かだ。

456路のミニバスに乗って人才市場近くの「ホームセンター村」へ。ベッドやソファーを見て歩く。
今までとは違い真剣に検討段階に入った。

ソファーはまず布か皮か。皮の方が座り心地がいい。布のに座ってみるとちょっと堅い。でも高価なのは柔らかいのだろうか。皮の物なら5000元程度が手頃で座り心地もいい。5000元程度をターゲットにする。
形状は3点セットにするか長いす部のある物にするか...長いす式だと少し部屋が広く見えるような気がする。

ベッドはベッドワゴン、化粧台などと同じところでまとめて買う方がデザインが統一できて具合がいいかも。
とにかく今日もさんざん歩き回って疲れた。

香港・粉嶺で牛丼。

15,600歩

照明は日本に比べて文字通り桁違いの安さなのですが品質的には要注意なものもたくさんあります。この頃買った射灯(スポットライト)、日本円にして200円程度であるのですが、これらは使用していく内にたくさんの不具合が発生しまして、分解して調べてみると構造的にだめだと思う所が続出、で新しく購入して交換しました。これは2年、問題なく使えています。
いいものはやっぱり値段もいいもので400円程度と2倍の値段でした。それでも日本での値段に比べると格段に・・・

(右の写真はクローゼット横に使った射灯、スポットライト)

玄関部に使った筒灯、ダウンライト

2007.06.17 カテゴリ: 香港返還・回帰香港1997 

   回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年 - 返還日アルバム


回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年 - 返還前夜アルバム

(2007年 06月 17日)
1997年7月1日香港が中国に返還されてもうすぐ10周年。
50年間香港の体制を変えないという条件のものと1997年7月1日、雨の中、中華人民共和国香港特別行政区が誕生しました。

私が友人の誘いで香港で働くのを考えていた時・・・
その期日に香港返還の1年前を選びました。返還前後の歴史的な様子を肌で感じるためでした。
あれから10年。


返還にあやかって、たくましくもいろいろなビジネスがありました。
返還前日、香港は涙雨(?)。友人が夫人を伴って日本からやってきました。しかも船で。豪華客船「ふじまる」の香港返還記念クルーズが企画されてそれに乗ってやって きたわけですが・・・
夫婦二人で100万円以上かかるだろうと思いきや、なんと無料!

モニターとして選ばれたとのこと、インタビューを受けたり、旅行後の旅行記を提出することを条件にすべてタダ!うらやましい。

彼らは正装してペギー葉山と一緒に記念写真を撮ったりして楽しんでました。
で、私もそれにあやかって船の中を見学、夜食がありました。来訪者ということでタダ。




回帰香港1997アルバム 1997年6月30日

1997年6月30日の日記から
尖沙咀はカウントダウン間近。大勢の人でごった返しているが、香港人の心情を表すのか、盛り上がりは足らなく感じた。人が出ているようで少ないから。 少しぶらぶらして、豪華客船「ふじまる」を目指す。豪華客船の「飛鳥」とは隣どおしで停泊している。

僕は船に乗れないと思っていたら来訪者ということで入れるようになった。中で夜食のそばを食べさせてもらう。デッキに出ると、香港島のイルミネーションがきれいだ。 写真を撮りまくる。
11時半下船、タクシーで滙景花園へ帰る。


写真はすべてフィルム写真をデジタイズしたものです





客船 「ふじまる」


「ふじまる」のキャビン




回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年(2) - 返還日アルバム

(2007年 06月 18日)
まずは香港占領から返還までの経緯を

イギリスのアヘン戦争による香港占領
1840-42年

第一次アヘン戦争

1842年
南京条約(不平等条約)
①イギリスの香港島領有権 ②2100万ドル賠償金 ③広州、上海、寧波、福州、アモイの五港の開港

1843年
追加条約
①清朝は関税自主権の喪失 ②領事裁判権と開港場における土地賃貸権の容認 ③最恵国待遇

1844年
アメリカ、フランスと同様の不平等条約

1856年
第二次アヘン戦争(アロー戦争)

1858年
天津条約(不平等条約)
①アヘン貿易の合法化 ②賠償金400万両 ③フランスへ200万両の支払い ④南京、漢口など10カ所の開港 ⑤外交使節の北京常駐 ⑥イギリス人内地旅行の自由 

1860年
第三次アヘン戦争
北京条約(不平等条約)
①英仏に各700万両の賠償金 ②イギリス・九龍半島先端部の獲得 ③中国人労働者(苦力)の渡航の公認(奴隷売買)

1898年
イギリス・235の島、九龍半島のすべてを含む新界地区99年の租借
  


返還に向けて

中国とイギリスとの香港返還交渉は1982年から開始、1984年に終結。
1990年
香港特別行政区基本法制定

1997年7月1日
香港返還



あらためて年表にしてみるとすさまじい歴史です。ほんとうに賠償金って何なんでしょうね。英仏のやりたい放題言いたい放題と言う所でしょうか・・・恥も正義も何もない・・
年表を作るに当たっていろいろ資料を調べましたが耐えられない記述がどんどん出てきて途中で投げ出してしまいそうでした。

それにしても香港人の心情も複雑です。何しろイギリスの教育を受けてきたわけですから・・・
香港人の返還に対する心情はかなり変動していました。今はほとんど落ち着いた印象はありますが、まだ中国をいやがる香港人に会うことがあります。ま、 これは好き嫌いの問題ですからしょうがないと思いますけど。
回帰香港1997アルバム 1997年7月1日

1997年7月1日の日記から
今日も乗客のビジターとして僕も乗り込む。もうこの船も慣れたようだ。
それにしても彼らは服をたくさん持ってきている。船からはケースバイケースでタキシード着用の指定があるらしい。

6時船内のレストランへ。ビジターも無料。4人で食卓を囲む。食後上層の珈琲ラウンジでお茶を飲んでいるうちに9時になる。そろそろ花火が始まる。デッキへ出る。

しばらくするといろいろな絵を電球で形取った船が九龍側からゆっくり動いて香港島まで一回りするように進む。それがすむとそろそろ花火。
目の前にある4艘ほどの船から花火が打ち上げられる。香港島の方からもどんどん打ち上げられた。まったく目の前での花火だ。
ものすごい迫力で迫る。大型の花火が連続して売り上げられると銃撃戦ならこんなものかと思わせるほどの振動と音が身近に迫る。晴れていた空はたちまち花火の煙に包まれ、 風のない中、花火も見えにくくなる。
とにかくこんなに近くで花火を見るのは生まれて初めて、音と振動で少し怖くなることもあったが興奮したようだ。10時過ぎまで花火は続いた。

船を出たのは10時半ごろだっただろうか。
MTRの駅へ向かう。びっくり。入り口の前で信じられないほどの行列。バスもタクシーもないため、みんな地下鉄に殺到しているらしい。他の入り口も皆同じ。あきらめて行列に加わる。
油痲地で乗り換え家に着くと11時半になっていた。

当日の写真はフィルム写真をデジタイズしたものです









「ふじまる」から


返還記念グッズ コレクション


フェリー乗り場で配られていた号外 蘋果日報


フェリー乗り場で配られていた号外 香港商報

2007.06.19 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(98) 自宅に香港人を招待 (1997.5.18)

【98】  1997年5月18日(日)  自宅に香港人を招待

香港初在住日記(97)での日本時代の同僚が香港人を食事に招待したというので今日は久しぶりに我が家で食事会。

昨日香港に戻ってきた。今日は久しぶりの香港。
短期間部屋を貸していた日本時代の同僚が、今日、香港人の友人たちを食事に招待している。
この前来たジュリアンとデイビッドという香港人が1時に来るという。かなり食材が買い込んであった。

1時半ごろデイビッドがやってきた。大柄な大学生だ。たどたどしくまた少しでたらめな日本語で「デイビッドさんです」と自己紹介。
テーブルに着き話を、食事をはじめ出す。かなり進んだ所でジュリアンから電話があり2時頃こちらに来るという。

2時過ぎマンション・エントランスからのブザー音。テレビのチャンネルを変えてエントランスを映し出すとジュリアンと女性。奥さんだろうか。エントランスのオートロックを解除して彼らを通す。

やっぱり奥さんだった。「ジェシカさんです」と紹介してくれる。香港人の英文名は同じ名前や似た名前がやたらと多い。
デイビッドは大学の試験前ということで3時頃先に帰って行く。帰る前にビデオCDは旺角と油痲地の間にある信和中心という所が安いと教えてくれた。

5時半ごろ元同僚は洗濯物を取りに行くというのでバス停まで見送る。元同僚は僕のところにいた1週間はMTRで尖沙咀へ行っていたようだ。
部屋に戻るとジュリアン夫妻はくつろいでいた。嬉しい。ジャッキーチェンのVCDを彼らが選んで見る。少しジュリアンと話をする。
(写真はジュリアンとジェシカ)

元同僚は2時間ほどで帰ってきた。夕飯はお好み焼きにしようと思っていたので材料も少し買い足していた。
ジュリアンがジェシカに包丁の使い方を教えながらキャベツを切っている。料理は主にジュリアンがやっている。作ってみると少し分量が足りなそうだ。あとは餃子を食べる。

僕は胆のう結石の手術のため20日から日本に帰るので、元同僚は、今日ホテルに移ると言い夜10時頃ジュリアン夫妻と共に尖沙咀へ向かった。

香港初在住日記(97)での日本時代の同僚が香港人を食事に招待したというので今日は久しぶりに我が家で食事会。
香港や中国では一般的に料理は女性がするとか決まっていません。結婚していても旦那さんが料理をしている人も多いです。このジュリアンとジェシカ夫婦も料理は旦那の担当のようです。

2007.6.19 陰暦5月5日端午の節句

今日は陰暦5月5日の端午の節句。興味もないので何もしませんでしたが・・・

2007.06.20 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(99) 胆石手術のため帰国へ - 帰国寸前の大騒動 (1997.5.20)

【99】  1997年5月20日(火)  胆石手術のため帰国へ - 帰国寸前の大騒動

日本にいる時から健康診断の定期検診でいつも胆のうの結石を言われていました。この結石が胆のうからはみ出して外へ転がり落ちた時に痛くなるとのことなのですが、診察してもらうと結石が大きすぎて胆のうからはみ出せない、でも分からない・・・とのことだったのですが、気になってしょうがないので働く場所のメインが中国に移ったことで切ることにしたのです。
奈良の地元の病院と連絡を取りながら5月22日入院、27日が手術日と決まりました。


帰国準備をととのえる。3時35分のフライトなので1時半ごろ出発すればいいだろう。
生ゴミの残りを処分するため、部屋の外の階段口にあるゴミ箱に捨てに行く。1時。ここで初めての重大なミスを・・玄関ドアのロックがかかってしまった。
この部屋のキーロックは内側のドアノブの突起を押してドアを閉めるとロックされるタイプ。ノブのボタンを押していないはずが、習慣で押してしまったようだ。あせる。出発予定まであと30分だ。

近くの棟には友人が住んでいるので細君に助けてもらおうと思ったが彼女はいなかった。
とにかく1階の管理人に事情を説明する。彼は英語が分からないし北京語は聞いて分かるようだが話すのは広東語のみ。片言の北京語で説明。
鍵を開けてくれる鍵屋の名刺を探してくれ、1ドルコインとともに手渡される。そこの公衆電話から電話しろと言う。

でも・・・僕には言葉のハンディーがあり、鍵屋へは電話できないというとヤオハンの近くの鍵屋に行けばいいと教えてくれる。(彼は持ち場を離れることができないし、この頃は携帯電話はまだ普及していなかった)
広東語だったがマクドナルドの向かいにある、と言っているのが感覚的に分かる。1つの鍵を開けるのに200$とるという。
そこの鍵屋は僕も知っていた。大急ぎで鍵屋へ。服装はオレンジ色の派手な短パンに真っ赤なTシャツ、少し恥ずかしい気もしたがすれ違う人は全く気にかけていない様子で安心する。

鍵屋には小姐がいた。英語と北京語をおりまぜて説明する。彼女は電話で連絡を取ってくれた。20分後に来てくれると言う。ここまでくればあとは待つより他にない。覚悟を決めると落ち着いた。
マンションのエントランスへ戻って待つ。10分少しで鍵屋が現れた。雰囲気で鍵屋と分かる。鍵屋も僕だと気づいたようだ。鍵屋は管理人と話をしていたので僕だと分かったのかも知れない。5階の僕の部屋へ。

彼は何か紙のようなものを取り出し僕に見えないようにがちゃがちゃやり始めた。鉄門も内門もあっけないほどすぐだった。200$を渡して部屋に入る。鍵を開けている状況を見ているとちょっと怖い。こんなに簡単にあくのならこんな技能を持ってる人はたくさんいるはずだし、本職のドロボーさんならもちろん知っているだろうから。
いずれにしても今回は間に合った。

さっきいなかった細君に電話する。今度はいた。彼女に合い鍵を預けていくことにした。何かあれば部屋に入ってもかまわないし万一のため。

空港。たばことチョコレートを買うためCD機で400$をおろす。買ったあと追加でまた400$。
喫煙所にたばこを吸いに行く。途中の案内を見るとNH176便の搭乗が始まったようだが予定の3時5分までまだ時間があるので。
13番ゲートに行くとほとんどの人が通過したようだ。あと少し。
バスで飛行機に向かう。乗り込んでまもなくおばちゃん数人が関西弁で話しながら入ってきた。バスは発車。おばちゃんはツアーらしいが「ここまで来るとほっとするな」と話している。どうも香港滞在中はいろいろ不自由だったようだ。

日本。久しぶりの大和路線。いつの間にか快速が久宝寺に停車するようになっている。郡山駅も新しくなっていた。

友人の細君は広東人。長いつき合いで全く彼女を信じているので鍵を預けました。
香港人の友人に「近くの友人に部屋の鍵を預けている」と言うと、彼はぎょっとした顔になりました。セキュリティー間隔の問題なのかそれとも他に意味があるのか・・

2007.06.22 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(98) 装飾設計公司の検査員 (2005.5.5)


【98】  2005年5月5日  装飾設計公司の検査員
内装材料センター、世紀中心でダイニングの備え付け食器棚用にノブを5個買う。そこへ照明屋から電話が入る。まもなく向かうとのこと。続いて楽安居からも浴室用小物の配達の件で電話が入る。タクシーで香蜜山へ。



香蜜山に着いてしばらくすると楽安居の小姐が浴室小物を持ってやって来た。一つ一つ念入りに確認しながらやってくれる。
随分待たされてやっと来た照明屋、彼は中を確認させようとしない。すぐ帰りたがっている。こちらで確認している間に、ガス会社の人がやってきた。連休前に頼んでおいた改管の件。そちらにかかっている間に照明屋は帰った。・・またおかしかったら後で文句を言いに行けばよいか...

ガス屋はガス管の変更は可能とのこと。ただ当初思っていた位置は元栓を扱いにくいだろうから、左の方に移動させたらどうか、と言う彼の提案に同意する。彼は「穴を開けたら連絡してほしい、そのあとで改管をする」と言い残して帰って行った。

ついでに穴あけ許可を取るため管理所へ。彼らは部屋を見に来た。以前、穴あけをするときに許可書を書いてもらったので今回も必要かと思っていたが、必要はないとのこと。ただ穴を開けるときに管理所が立ち会うと言うことらしい。
(マンションの売買契約書では外壁関係はマンション側の所有となっているため、ここに穴を開けるにはマンション側の許可が必要なので申請しなければなりません)

管理所の人と話している内に名雕の偉いさんたちが工事具合のチェックに来た。今日は非常に充実している。
トイレは設置出来るかと聞くと出来るという。しかしタイルの間の処理も出来てないし、掃除もまだなのでしばらく様子を見た方がいいだろうと自分で判断する。あと、システムキッチンもシステムキッチン会社側での準備ができていることを伝えておく。
彼らはほぼできあがっている壁塗りをアルミの長い角材でチェック。でこぼこが多いためやり直しを命じているようだ。その後彼らは姿が見えなくなったので帰ることにした。

喫茶店でサンドイッチを。その後、325路のバスで帰途。
香港に向かう皇崗のイエローバスは蚊がめちゃくちゃ多かった。蚊の巣の中に入ったような感じ。あちこちから手のひらでたたく音。しばらくは羅湖からの方がいいかもしれない。

11,900歩

2007.06.23 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(99) あ、水道管が・・・ (2005.5.7)


【99】  2005年5月7日  あ、水道管が・・・
今日はガスの改管用に穴あけをする。給湯器リモコン配管用の孔もあけるので2カ所。マンションの外にたむろしている孔あけ屋に穴2個50元で交渉したあと、管理所へ行って付き添ってもらうよう依頼。

管理所人の見守る中、穴あけ開始。しばらくして問題、水道管を打ち抜いたようだ。元栓を締めて応急処置。項目経理に電話して修理を頼む。またやっかいになった。あと一つの穴は無事に貫通。

しばらくすると名雕の検査役が5人ほどでやって来た。1人の作業者に対してこの人数の検査役、びっくりする。彼らが帰っていったあと、作業者にできあがりを聞く。あと4日ほどかかるとのこと。それから考えると5月15日の完成は難しいようだ。
するとまた1人、名雕の装飾顧問だというのがやってきた。なんか働かない人間が多いような・・・
外へ出ると既に帰ったはずの検査役がベンチでだべっている。

456路のミニバスで宝安北路の「内装材料街」へ。内装用品を見るためだが、おなかも減ったので「一番ラーメン」でラーメンと餃子を。
そのあと、バスに乗らずに羅湖駅方面に歩いてみる。まずは地王ビルへ向けて歩きだす。なかなか面白い店屋がない。どんどん歩くとサウナの看板。久しぶりにサウナへ。2時間マッサージをして外へ、また歩き始める。地王に着く。意外に近かった。ついでに羅湖のイミグレーションまで歩いた。

16,800歩


孔あけ 1カ所30元
 




2007.06.01  
中国深圳初内装日記(92) ガス開戸手続き (2005.4.28)
2007.06.02  
中国深圳初内装日記(93) ガス開戸準備、房産証準備など (2005.4.29)
2007.06.03  
【深圳 春】 深圳雨もよう
2007.06.04  
深圳生活ファイル
2007.06.05  
香港初在住日記(94) メーデー (1997.5.1)
2007.06.06  
香港初在住日記(95) 「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー (1997.5.7)
2007.06.07  
福田区 紅樹林海浜生態公園
2007.06.08  
中国深圳初内装日記(94) ガス開戸手続き成功 (2005.4.30)
2007.06.09  
中国深圳初内装日記(95) 洗面台購入 (2005.5.1)
2007.06.10  
【深圳 春】 深圳 降り続く雨に
2007.06.12  
香港初在住日記(96) 中国工場から恵州へ出張 (1997.5.9-10)
2007.06.13  
香港初在住日記(97) ある香港人の若者 (1997.5.11)
2007.06.14  
古代都の汚水処理
2007.06.15  
中国深圳初内装日記(96) 照明購入 (2005.5.3)
2007.06.16  
中国深圳初内装日記(97) 照明、浴室小物を購入 (2005.5.4)
2007.06.17  
回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年 - 返還日アルバム
2007.06.19  
香港初在住日記(98) 自宅に香港人を招待 (1997.5.18)
2007.06.20  
香港初在住日記(99) 胆石手術のため帰国へ - 帰国寸前の大騒動 (1997.5.20)
2007.06.22  
中国深圳初内装日記(98) 装飾設計公司の検査員 (2005.5.5)
2007.06.23  
中国深圳初内装日記(99) あ、水道管が・・・ (2005.5.7)
 ► 次のページへ

Produced by Sceneway copyright © "深圳と香港の日々 - Funny days in Shenzhen + Hong Kong" all rights reserved.
powered by