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2007.03.02 中国深圳初内装日記(68) TOTOウォシュレット、バスタブ (2005.3.29)2007.03.03 中国深圳初内装日記(69) 大理石とフローリング材 (2005.3.30)2007.03.04 【奈良帰省日記2007.3】(1) 一年ぶりの日本へ | 2007.3.4 |2007.03.05 【奈良帰省日記2007.3】(2) スーパーへ | 2007.3.5 |2007.03.06 【奈良帰省日記2007.3】(3) 飛鳥-明日香村へ | 2007.3.6 |2007.03.07 【奈良帰省日記2007.3】(4) 大和民俗公園へ | 2007.3.7 |2007.03.08 【奈良帰省日記2007.3】(5) 京都山科小野梅園へ | 2007.3.8 |2007.03.09 【奈良帰省日記2007.3】(6) ふたたび飛鳥へ | 2007.3.9 |2007.03.11 【奈良帰省日記2007.3】(7) 深圳へ | 2007.3.11 |2007.03.13 香港初在住日記(70) 久しぶりのような日曜日 香港で (1997.3.9)2007.03.14 香港初在住日記(71) また中国東莞工場へ (1997.3.10)2007.03.15 【香港中国わかばマークの頃】 (3) 買い物 三態 (1993-1995)2007.03.15 【香港中国わかばマークの頃】 (4) 中国出張日記 - 深圳の駐車場の小姑娘 (1995.6.8)2007.03.16 中国深圳初内装日記(70) 大理石屋を見学 (2005.3.31)2007.03.17 中国深圳初内装日記(71) 大理石屋の選定と種類の決定 (2005.4.1)2007.03.20 香港初在住日記(72) 東莞工場で シンガポール人技術者 (1997.3.12)2007.03.21 香港初在住日記(73) 東莞工場で ある朝鮮族中国人の恋 (1997.3.13)2007.03.23 中国深圳初内装日記(72) 大理石打ち合わせ、キッチン用品 (2005.4.2)2007.03.24 中国深圳初内装日記(73) フローリング材、壁紙視察 (2005.4.3)2007.03.27 香港初在住日記(74) 東莞工場で - ちょっとしたトラブル (1997.3.14)
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2007.03.02 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(68) TOTOウォシュレット、バスタブ (2005.3.29)


【68】  2005年3月29日曇  TOTOウォシュレット、バスタブ
羅湖から1路のバスで田頁4路と言うところでおりる。カーテンの宣伝やら内装関係の呼び込みが多い。

TOTOを扱っている店へ行ってみる。ウォシュレットやバスタブを見る。小さな店内を見て歩くと店員がついてくる。彼女に値段を聞いてもちんぷんかんぷん、なぜついてるのか、意味がない。
どうやらここの女ボスが値段を仕切っているようだ。見ると女ボスはえらそうにしている。机の内側に上司のように立派な椅子にでんと座り、客用にはパイプ椅子がある。客が部下みたいな格好。電話がかかってきたら商談中の客をほっておいて長話。これで商売ができるのだろうか。今思い返しても腹が立つ。価格は高め、おまけに値段交渉は聞く耳持たず。さっさと店を出る。気分が悪い。買うのは別の店にしよう。


田貝4路も内装材料の小物を売っている店が多かった。
机の引き出し用に鍵を4つ買う。1個7元、100円か、安い。あとカーテン屋を見学。カーテンのデザインを考える。

項目経理から電話。タイルが足らないと言う。香蜜山の現場へ行く。この前からあったけっこうな量の破損したタイルの破片は片づけられている。
ちょっと気分が良くない。割れていても別に文句を言うつもりはないのに。
使用されたタイルの数量を確認してみる。10%以上が浪費されたようだ。文句を言おうかどうかのきわどい数量。

あと敷居の大理石や玄関の大理石を買うように言われる。あと下駄箱の上の壁の石はどうしよう?

内装仲間に電話する。彼女はすでにタイルを何度か買い足しているとのこと。数が少ないと配達してくれないようだ。少しうっとうしい。

あの辞職した前の設計士にも久しぶりに電話して相談する。彼女は不足のタイルは項目経理に任せろ、と言うような感じのことを言う。彼女と一緒にタイルを買いに行ったときの数量は、項目経理から聞いた数量だという。とりあえず、明日、ホームセンターの世紀中心で落ち合うことになった。

地下の駐車場へ。いつもの仮店舗でだべる。フローリングの話をする。
別の工場へ見学に行ったこと、値段が安かったことを言い、値段のメモを見せる。紫檀が260元。彼女はすぐに嘉森に電話をして値段交渉。250元にすると言う。でも310元が250元と言うのが即座と言うのもおかしい。250元のサンプルを要求する。メーカーが違うのかも知れないし、材質が違うかも知れない。それにしても他と値段比較となるとかなり競争心をあおるようだ。すさまじい。
あとカーテンの話もする。

久しぶりに東海坊の日本料理屋へ寄って地下鉄経由で香港へ帰る。

13,500歩

2007.03.03 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(69) 大理石とフローリング材 (2005.3.30)


【69】  2005年3月30日曇  大理石とフローリング材
元設計士とホームセンター・世紀中心で待ち合わせる。1ヶ月ぶりだがいつも通りのイメージ。
石材を見て回る。いくつか値段を聞くが、彼女は南山区に安いところがあるという。明日、一緒に行ってくれると言う。

あと一緒に香蜜山へ行き状態を査定してもらう。ちょうど項目経理も来ていて話し合い。敷居の大理石の寸法と下駄箱の上の壁にはる予定の沙岩の寸法をとる。砂岩は木目のようになったきれいな石。

ちょうどこの忙しいときに木地板の嘉森の彼がやってきている。彼は地下駐車場の仮店舗に併設しているフローリング材料屋。ちょっと待ってほしいが・・・百安居へタイルの追加をしに行く前に地下の仮店舗に寄っていく。
 彼はこれだけ安くするから、今日契約をしてくれという。1週間待ってほしいと言ってあるのでちょっとうっとうしくなってきた。
彼は紫檀の場合、発注から納入まで30日だと言う。そんなことは前の時言ってなかったのに。今は在庫があるからすぐ契約してくれれば大丈夫と言う。一瞬あ せる。でもちょっとおかしいな。今日は絶対サインをするつもりはない。ちょっと待ってくれと言って元設計士と共に百安居へ。
百安居で木材を見学、紫檀の納期についても聞いてみる。3日だと。やっぱり彼は嘘をついた。

タイルを追加発注する。ただ、すでに納入されているタイルのロットNoが必要とのこと。これがなければ色目があわなくなるらしい。残念ながらロットNoは控えていないし、製品を入れてあった箱も捨てているのでどうしようもない。

明日、元設計士と世界の窓で落ち合うことにした。そこから南山の大理石屋へ行く。
百安居から215路もバスで羅湖まで。KCRに乗り継ぎ香港へ帰る。

12,000歩


この頃はすでに不動産屋が客を連れてマンションを見に来ていました。もう売買があるようで展開の早さにびっくり。

私のところには不動産屋からの電話が未だに勢いよくかかってきます。
気分のいいときは相手をします。で、ここを賃貸にするとどれくらいの家賃をとれるかを聞いたところ、7~8000元だが賃貸はまだ借り手が少ないので売る方がよいとのこと。ま、売買の方が不動産屋の手数料が大きいですからね。

2007.03.04 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(1) 一年ぶりの日本へ | 2007.3.4 |

奈良帰省日記2007.3 (1) 一年ぶりの日本へ | 2007.3.4 |

インド航空で香港から関空へ。
料金は安いのですが香港からの朝がめちゃ早くて7時半の便。

朝4時マンションを出てタクシーで皇崗へ。こんな時間は客が少ないのでタクシーも値切り交渉OKです。
正式には深夜11時を過ぎると3割程度の深夜割増料金になりますが実際には客が少なくなるので昼間より安くできます。

皇崗では誘われるままにワゴン車へ。値段を聞くと150元、人民元でも香港ドルでもいいと正直な対応。
「何時に出発するか?」
「5時頃、6時までに香港の空港に着く」
「間違いないか?」
「きっとだ」
と言うことで様子見にお金を払わずに乗りました。間に合わないと思ったらタクシーに変更できるように・・・

約束通り5時には客が7人そろい、めでたく出発。去年は日本人の客がほとんどだったのに今年は私だけ。英語が流暢な台湾人(外省人かな?)、フィリピン人、 白人など英語が飛び交います。
香港側のイミグレーションでフィリピン人のパスポートに問題があり30分ほど時間を浪費しましたが6時過ぎ香港空港に到着。

インド航空機は予定時間をかなりオーバーして離陸。はじめからかなりつまずきましたが無事関西国際空港へ。
そしてJR関空快速からJR大和路快速に乗り継ぎ。4人がけの席には前にちょっとイケメンの若者らしい身なりの2人。
小さな声で話し始めました。
「・・・ え ・・・」
なんとまあ中国語でした。日本へ帰ってきて初めて聞く会話が中国語とは!!

何回もつまずいた帰国日でした。

香港国際空港




空が白み始めた空港


日本関空付近


関西国際空港




2007.03.05 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(2) スーパーへ | 2007.3.5 |

奈良帰省日記2007 【2】 スーパーへ | 2007.3.5 |


昨日は夜に小学校の同窓生10人ほどと共に食事会、カラオケ。前日寝ていないこともあり昼頃に起床。

昨日、関空について一番に思ったのは空気の透明感でした。深圳では毎日朦朧としていて視界が悪い日が多いのでまずこれに感激。ただ、深圳の透明感のなさが何の原因か知りません。ひどいスモッグを知っている私には深圳のが単にスモッグのようには思えないので・・・
大阪も高度成長期にはスモッグで視界のない日ばかりだったことを思えば、深圳もいつの日かよくなることを期待したいですね。 

この種の環境問題に対しては世界中で日本人が一番敏感ではないかと思えます。品質と共におそらく永遠に続く日本人の良さだと思います。でも同時にどうして電柱に気を注がないのかが不思議でもあるのです。電柱の立ち並ぶ光景は気分をまったく不愉快にさせるのに・・・・

列車が山を抜け奈良に入るとまた透明感が変わります。見通しの良い日はJR法隆寺駅の前後で遠く飛鳥を遠望することができるのですが、昨日はあいにくでした。私の生まれたところは平城京の羅生門にもほど近いところ、従って奈良市ではなく大和郡山市。まだのどかな田園があります。帰省してほっとする瞬間です。



今日はあいにくの天気で近くのスーパーへ価格調査にでかけました。

家を出ると梅の花が・・


家の近くのスーパー


サッポロ一番の塩ラーメンが好きで深圳でもたまに買うのですが
輸入品のみで一個8-10元、100-150円。
ここでは5個入り278円、1個56円。



醤油は「うすくち」という私、キッコウマンとヒガシマルでは味がまったく違います。私はヒガシマルでないと・・・
香港・深圳ではヒガシマルを手に入れることができませんのでチェックポイント。安いです。



うどんは朝ご飯によく食べます。香港のスーパーや深圳のJUSCOでは1玉3-4元。50円程度。ここでは60円で2玉。



私にとって重要なお好み焼きとたこ焼き粉。これは香港より少し安い程度でした。


一瞬どっきり。頭だけ中国へワープ。1折398円
おお90%ディスカウント!!!
香港・中国で1折というと10%で売る、と言う意味。8折なら2割引





しかしさすがに本場、日本料理素材は私の深圳の頭の常識からすると激安。ほぼ半額です。
深圳や香港で日本食材にこだわって生活しようとすると日本での2倍から3倍のお金がかかりそうです。
深圳や香港での日本料理屋はコストの高い食材を使わねばならないのですね。でも深圳の場合、メニューの値段はそんなに高いとも思えません。利益率が悪いのでしょうか、それとも人件費?

反面、野菜など、深圳では日本より1桁違うものも多くありました。で、深圳の方が安いものも探してみました

米、中国産「あきたこまち」は5kg700円程度でした。本場の「あきたこまち」、10kg3880円。5kgあたりにすると1940円。



リフォームコーナー、リフォーム材コーナーでも値段を見てみました。
この部分はうーん、どうしてこんなに高いのでしょう・・・
きれいさや細やかさを感じるものと、ちゃちさを感じるものが同居しています。高いです



照明器具は日本が断然高いですね。深圳に比べて5倍以上です




食事と言えば生命や健康に重要なものです。とくに小さいときから慣れている日本料理で胃腸や体の具合が決まってるみたいな感じもします。
で、私にとっては日本料理は重要なもの、いかに自分の胃腸にやさしいものを料理するかというのが重要です。
深圳で住んでいくには日本食にこだわるとかなり高くつきます。これをいかに克服するか努力が必要なところです。日本に帰ってくると私の胃には心なしか少しやさしいです。

自分の胃のために大根ジュースの材料を買いに行きました・・ん・・・高い!
まず蜂蜜、見ると中国産。深圳でいつも買っている蜂蜜の3倍の値段。そして柚子茶、これも3倍。表示されている価格を人民元に変換すると手が出なくなってしまいました。
うーん、日本と深圳の「ええとこ取り」はできないものか・・・

2007.03.06 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(3) 飛鳥-明日香村へ | 2007.3.6 |

奈良帰省日記2007 【3】 飛鳥 - 明日香村へ | 2007.3.6 |

ずいぶん久しぶりに飛鳥へでかけました。私の日本時代の休日は奈良、京都、飛鳥を歩き回ることが多くありました。
飛鳥にはもう10数年ご無沙汰している気がします。家からは数10キロ離れていますが子供の頃の思い出もありますし私の心の中ではふるさとになっています。
京都市は母のふるさと。前回の帰省では奈良、京都へ行ったので今回は飛鳥に。

近鉄飛鳥駅前




天武持統天皇陵


川原寺


石舞台古墳と二上山(にじょうざん)遠望


祝戸地区






大和棟の家


橘寺



最後は甘樫丘。蘇我氏の大邸宅があったと言われるところです。ここから大和三山を見るのを楽しみにしていました。

大和三山は耳成山(みみなしやま139m)、天香具山(あまのかぐやま152m)、それに畝傍山(うねびやま199m)。畝傍山は麓で初代天皇の神武天皇が即位したと伝説のある山で、 この伝説に基づき明治時代に神武天皇を祀るため橿原神宮が建設されました。

大和三山は100m台の低い山々ですが、ここには日本で初めての都、藤原京が建設されたのです。低い山なので私も高校時代、三山とも頂上まで登りました。とくに天香具山は オートバイで登ったというならずものでした。

いざ甘樫丘へ


畝傍山と二上山(にじょうざん、嶺が2つ並んでいる山。高い方が雄岳、低い方が雌岳)



大和三山を目指して甘樫丘に登り、畝傍山と二上山が目の前に現れたとき、思わず涙腺がゆるんでしまいました。これがぼくのふるさと・・・予想しなかったことに誰もいないのに一人おろおろ。

二上山はふたかみやま(二神山)とも言われる山で大津皇子が処刑されまつられているところでこれまた古代の歴史の舞台です。姉の大来皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは・・・・・」と言う歌が頭をよぎります。

深圳にもミニ・二上山があります。皇崗からバスに乗って深南路に向かう途中、北向きに走っているときに見えます。本場のよりも低くすぐにビルに隠れてしまうので写真を撮ることができないでいますが、私の心の中にミニ・二上山として登録されています。

石舞台古墳から夕日の沈む二上山を眺めて写真を撮りたかったのですが天気がだんだん悪くなってきたので断念。でも久しぶりの飛鳥は本当に楽しく知らず知らず2万7000歩、歩きました。ほぼ14kmになります。最後は知らないところを歩いていて橿原神宮駅まで行ってしまいました。健康も考えて結構早足で歩いているので疲れているはずなのですが・・

甘樫丘では飛鳥に関係ないのですが、ふとあの「三笠の山にいでし月かも」の歌を思い出しました。仲麻呂が中国にいて見た月を奈良のように感じて詠んだと言われる歌です。
本当に日本と中国仲良くしてほしいものです。

飛鳥はまた私の子供時代とは大きく姿を変えていました。言うなれば整備されすぎというか、保存のためのポリシーを感じないのです。整備をしましたという主張のための整備をしていないか、よく考えてほしいところです。
先祖の貴重な財産にカビを生やし、それを隠そうとするような保存であってはならないのです。
自分のふるさとと思っているだけにいろいろ感じる日でもありました。

大和三山

2007.03.07 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(4) 大和民俗公園へ | 2007.3.7 |

奈良帰省日記2007 (4) 大和民族公園へ | 2007.3.7 |

家の近くに大和民俗公園というところがあります。家からは2km足らずなので歩いてでかけました。

大和民俗公園は26.6haの広さ、県立で県立民俗博物館も併設されていてここで定期的に講座があって時々講座を受けに行っていました。大和棟とか大和格子など昔の民家のことを知ったのはここの講座でした。私がふるさとを勉強する手段の一つでした。

博物館の外は奈良県各地から集められた文化財級の古い民家を移築して野外展示しています。町家、農家、山家など。
その周りは広い森林公園みたいにとなってます。これが以前よりよく整備され充実してとてもきれいで感激でした。歩き回りました。
大和民俗公園へ


民俗博物館






野外展示 町家












これが出窓の発想なんでしょうか


民俗公園




山家




帰り道で 奈良高専前



家を出て横断歩道、信号は青、横から車が右折してきました。思わず中国のくせで、センターラインあたりで車を待ちました。これには車のドライバーが「????」。
一瞬止まったのですが私のこの反応にびっくり。でも次にすぐ私の前を通り過ぎました。
「車優先社会」(強者優先?)に慣れてしまった私、日本では不思議な習性でした。でもこのドライバーもちょっとあつかましいですね。
昨日も今日もこういう状態が続きました。再び日本で住もうとするとリハビリが必要なようです。

今日は一服のつもりだったのですが民俗公園を散歩していたら結局1万5000歩歩いてました。

中学の頃に悪友たちで休みの日には5-10kmのところの奈良、法隆寺などを歩いて往復しながら遊んでました。夏みかんが育っているのを見つけたらこっ そりとって食べたりとかもあるちょっと悪ガキだったかも。その影響でしょうか、今も歩くのはあまり苦になりません。三つ子の魂百まで・・みたいなものなの かな・・・・

2007.03.08 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(5) 京都山科小野梅園へ | 2007.3.8 |

奈良帰省日記2007 (5) 京都山科小野梅園へ | 2007.3.8 |

京都の梅林巡りです。
今日はJRで・・


JRみやこ路線(奈良と京都を結ぶ線)でまず山城青谷へ




青谷梅林
梅も終わりかけでちょっと寂しい、おまけにみぞれも降ってきました








さらに六地蔵、地下鉄経由で小野小町ゆかりの山科随心院小野梅園へ












地下鉄で


2007.03.09 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(6) ふたたび飛鳥へ | 2007.3.9 |

奈良帰省日記2007 (6) ふたたび飛鳥へ | 2007.3.9 |

今日も飛鳥へ
この前は途中から天気が悪くなってきたのでもう一度挑戦と思ったのですがやっぱり甘樫丘へ行くと天気が・・・
普段の行いの問題でしょうか・・・
でも今日も元気よく2万6000歩
飛鳥の梅










高松塚古墳 入院してあちこちパイプを入れられてる人みたい。
痛々しくてあまり見たくない図ですね。元々エアコンなしで自然に保存されていたのに




甘樫丘で絵を描く人・・




大和棟と梅


とある喫茶店で


2007.03.11 カテゴリ:奈良帰省日記 >  奈良帰省日記2007-3 

【奈良帰省日記2007.3】(7) 深圳へ | 2007.3.11 |

奈良帰省日記2007 (7) 深圳へ | 2007.3.11 |

楽しかった思い出とともに深圳への帰途に・・

テレビはあまり見ることはありませんでしたが気になったのは金属が盗まれる事件。テレビの全国ニュースで毎日取り上げて言うほどのニュースとも思えないのですが、このニュースのおかげで私の深圳の隣のマンション建設現場、又ほかの建設現場でもそうですが、一晩中、煌々と灯りを点けて監視されている理由と効果がよくわかりました。ほんとに油断も隙もないですね。

深圳マンション建設現場の夜間照明


さて今日はインド航空で深圳へ戻ります。
液体持ち込みルールが2007年3月1日から変更になっていました。(クリックすると大きくなります)


インドから大阪にやってきた機で引き返すのですが、大阪への到着が遅れているとのことで13時の予定が1時間近く遅れて出発。
香港の空港からどの道筋で深圳へ出るか頭の中でいろいろ考えましたが、バスで帰ろうと模索。前回皇崗(落馬洲)まで100ドルだと言われ、高いと思って使わなかったルートです。

香港のバス乗り場へ行く通路はわからないぐらいに整備されていて中国行きのバス停も立派になっていました。
ここで2つの会社の呼び込み員が来てしつこく迫ります。皇崗へのバスです
「値段はいくら?」と聞くと1人が「100」、それを聞いた別の会社の小姐「うちは80だ」と、もう一つの会社も「こちらも80でいい」と。
「60ではどうか?」と調子に乗った私が問うと1人はそんなのだめだ、と離れていきました。
残った1人はしつこく迫って結局決めました。もらったチケットには100ドルの値段が書かれていましたので値切れると言うことでしょう。

予想通り30分ぐらいで落馬洲に到着。荷物はバスに残したまま、バスを降り香港側のイミグレ通過。中国側のイミグレについて荷物をバスから受け 取ってイミグレ通過、と言う手順でした。


関空へ海の上を


関空






香港


皇崗へのバス車内。すごくきれいでした。リクライニングもスムースに動きました


2007.03.13 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

香港初在住日記(70) 久しぶりのような日曜日 香港で (1997.3.9)

【70】  1997年3月9日(日)  久しぶりのような日曜日 香港で

昨日、中国から帰ってきて今日は久しぶりの日曜、休日のような気がする。ほんとに久しぶりにJapnese Hourのドラマを見る。ショーケンのでているもの。お好み焼きで昼食にする。


請求書がたまっていたため、支払いの小切手を郵送するためと支払機を探すために外へ出る。いつもとは逆の方向に歩いて探してみる。3階分ほどある長いエスカレータを2つ乗り継いで上がっていく。郵便局があった。当然閉まっている。ポストに支払いのための小切手を投函する。

更に歩く。「徳田商場」とある。何か以前見たような気がする。近づくにつれて思い出した。
以前、英国文化協会から試しにバスに乗って帰ったとき、自分のマンションを通らずにここが終点だった。あのときは訳のわからないところへ来たぞ、と思いタクシーで帰ったが、歩いて帰れる距離だったのだ。
少しずつ土地勘が出てきた。周りをしばらく歩いてみると緑がけっこう多い。香港人の生活のにおいもするし、たまにはこの辺を散歩した方がいいかな。こんなところで1人で歩いていると僕も香港人に見えるだろうか。

徳田商場には支払機があった。いつも使っている九龍湾のとは違うので少し面食らったがどうにか支払いに成功。「ACCEPT」の文字が出た。
これで一通り請求書のカタが付いた。



本屋で本を買いヤオハンでVCDを2枚買うと所持現金はスッカラカンになった。


当時香港では日曜日の昼近くにJapanese Hourとして日本の番組を放送していました。日系の会社が多くスポンサーになっていたようです。

電気代、ガス代などいろいろな支払いには小切手を郵送することができます。ATMのように設置数は多くはないですが支払機も適当なところに設置されていてバーコードのある請求書にはこれも使えます。これは自分のキャッシュカードを使い支払いする会社に直接振り込むという方法になってます。

上の図はこの日のガス代の請求書、一番下に支払機用のバーコードがあります。下が感熱紙の受け取り。
記録ではこの日はケーブルTVの支払いを小切手でしています。

この支払機で間違えて同じ請求書で2度振り込んだことがありますが、1回分は貯金したみたいな感じでストックされてました。「すでに支払われています」とコメントしてくれないところがにくいですねえ。もらったものは返さないという発想ですかねえ。

今の香港 尖沙咀


2007.03.14 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

香港初在住日記(71) また中国東莞工場へ (1997.3.10)

【71】  1997年3月10日(月)  また中国東莞工場へ

朝6時過ぎ起床。今日からまた中国。7時過ぎ家を出る。
羅湖はよく混んでいてやっと抜け出した頃には9時近くになっていた。駐車場の雰囲気が変わっている。近くに寄ってみると場所を移動するのだろうか、工事中。ここも非常に良く混んでいる。僕をカタカナで呼ぶ声が聞こえる。香港人のTさんだ。会社の車が来ていないらしい。香港人Mさんも一緒。
9時過ぎまで待って3人でタクシーに乗って工場へ。10時頃到着。いやに早い。タクシーの運ちゃんがやけにとばしていた。会社内の宿泊所、ゲストハウスに入る。宿泊名簿には僕らの名前がしっかり印刷されていてあとは日付を入れるだけになっていた。こちらへの配属が決まっているような感じ。なし崩し的な感じであまり気分は良くない。305号室になっていた。

夕食前、Tさんの様子がおかしい。風邪をこじらせているとは言っていたが相当にひどいようだ。香港に電話をしてTさんに帰ってもらうことを伝える。
僕は会話に難があるのでTさんにあまり話しかけない方がいいだろう。彼が言葉を伝えるのに苦労していらいらするだろうから・・・
Tさんは工場総務課のHさんのすすめで太平(町の名前)の病院で診察を受けに行くことになって、もう1人の香港人Mさんが付き添って出かけた。今日は中国で安静にして明日の朝彼は帰ることになった。
明日は香港から8人がやってくるらしい。Hさんは泊まる部屋がないとつぶやく。

香港から中国工場へ行く場合、一般的に2つの方法で出かけます。
1つはイミグレ近くの駐車場に待機している工場の車で行き、もう一つはタクシーに乗ること。タクシーで1時間以上と言うとちょっとびっくりしますが、タクシー代は香港が日本の3分の1、中国がそのまた3分の1で、中国のタクシー代は日本に比べて10分の1近く利用しやすいのです。
今の深圳のタクシーは基本料金が3kmまで12.5元、あとは250mごとに0.6元、したがって1km2.4元、1元を15円とすると3kmまで190円、あと1km36円と言うことになります。これで30kmを行くと1160円と言うことになります。

香港のタクシーのレシートです。香港粉嶺から空港まで45km、328ドル、5000円弱。ただしこれぐらいの距離になるとまけてもらえます。300ドル払いました。

だんだん中国工場勤務が迫ってきました。香港に来る前に中国出張でかなりひどいところでの宿泊も経験しているので、それから比べたらこの会社のゲストハウスは天国みたいなところ、問題はないのですが、メンタルな面で気持ちよくやってきたいと思っていました。
現在の深圳です。
自動車免許講習所の練習風景です。

教習車には前と後に「学」の文字が入っていてこれで路上教習もします。




路上教習中


2007.03.15 カテゴリ:記録・日記 >  香港中国出張日記1992-1995 

【香港中国わかばマークの頃】 (3) 買い物 三態 (1993-1995)

買い物は定価がついているものばかりではありません。
特に外国で買う場合、製品の価値が日本の感覚と違います。で・・
まず品物の相場値段を知る必要があります。そして値切れるのか値切れないのか、自分はいくらで買いたいのかなど自分でもはっきりしたポリシーを持たないと・・

香港と中国での買い物3態です。

香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 1 - 香港で

1993年9月 By Sceneway

「セカンド・バッグのような小さな鞄が欲しいねん」
「じゃあ、そこの店はどう? 一度そこで買ったことがあるよ」
尖沙咀の地下鉄駅から出て弥敦道の裏手にある、間口が一間少しといった店で、奥行きが五メートル位だろうか。店に入るとすぐ店員が近づいてくる。


尖沙咀
僕の買い物のやり方というのは、気に入った品物を見つけるまでじっくり店内を見て歩くため結構時間がかかる。あげく気に入った物が見つからず買わないで帰るということも多い。だから入ると同時に店員が寄ってきて話しかけてくる、というのは苦手なので、この店員が黙っていることを期待しながら陳列品を物色し始めた。幸い何も話しかけず放っておいてくれている。

入り口の近くにデザインのいいバッグがある。茶色の鍵のかかる小さなバッグで、色といい、形といい僕の趣味に合うバッグである。一応、頭の中でキープする。他には、と。旅行鞄のようなものが多く、余りなさそうだ。この鞄を買うことにした。連れは女性用だと思ったのか、「マン? ウーマン?」と店員に聞いている。店員は勿論「マン!」。ともあれ僕は結構気に入っている。値段の交渉に入った。

店員にバッグを指さして中を見せてもらった。
「ハウマッチ?」訊ねると彼は鞄の中にある値段カードを見せた。”$498”とある。彼はここから3割引にすると言い、350ドルを電卓で表示して見せる。
「高い。250」と言うと、「ダメ、320」
僕は250で買うことに決めた。従ってそれ以上の価格は受け付けないことにした。首を振る。
「300・・」
「・・・・」
「290・・」
どんどん値段を下げてきた。予備知識によると、値段が高ければ帰るふりをするのも一つの手である筈だ。しかし折り合わなければ欲しい物が手には入らなくなる。まあこれも賭だ。それに香港で値切るのは初めてだし、後学のために試してみよう。他にも店はたくさんある。

「なら要らない」と言い店をでて、てくてく歩き始めた。5メートルほど歩いた所で、ついてきていると思っていた連れがまだ店にいて後から声をかけた。「OKだって!」

おお、そうか。やっぱり試してみるものだ。おかげで表示のほぼ半額になった。でも少し強引なやり方のように感じられ、少し後味が悪い。やはり冗談でも言いながら和気あいあいと値切って、買うたびに親しみが増すような仕方がいいのではないかと思った。
ともあれ、表示金額の半額程度まで値切れるだろうというめどはつき、収穫はあった。
買い物 - 香港で
終わり



香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 2 - 香港で ( その2 )

1994年5月 By Sceneway

中国、鳳崗はインフラが良く整備ができていないため、断水も多く水が出てもちょろちょろがほとんど。バスタブに熱い湯を入れてゆっくりつかるということは望むべくもない。ちょろちょろ出てくる湯を大切にシャワーで体を撫でる、というのが精一杯だ。でも僕は初めて中国に来たときから、こんな生活をとりたてて辛くは感じていなかったし、工夫して生活をするということを楽しんでいた。ほとんどは簡単に我慢できる程度だったからだ。

それでも時々香港でとる週末にはほっとする。ホテルでは、蛇口から勢いよく出る水、バネのよくきいたベッド、壊れていないトイレなど、久しぶりに味わう軽やかな感触だ。今日もしばらくSさんと一緒に香港の休日を楽しむ。明日、月曜日は香港のS社を香港人の呉さんと共に訪れて午後には日本へ帰るので、今日は出張最後の休日となる。

ホテルにチェックインしてSさんと買い物に出ることにした。僕がキャスターの付いている小さな旅行鞄を買いたいと言ったのでSさんが付き合うことになった。街はなぜが鞄屋が多い。ホテルを出るとすぐ、以前にセカンドバッグを買った小さな店があるし、露店のような店もひしめき合っているが、今日は弥敦道に出て尖沙咀を散歩しながら店を探してみることにした。

街角では売りマンション宣伝の紙袋が配られている。僕にも配られてきた。香港人に見えたのだろうか。少し嬉しい。見ると「東莞加州花園、楼価八万幾、�一定買得起」と書かれて、完成予定図のイラスト画がある。アルファベットで「CaliforniaGarden」の文字もある。8万というのはどういう値段なのだろうか。1戸ならばいやに安いし。1坪当たりの値段だと言う人もいたが、そうすると非常に高い。東莞というからには、中国だろうと思うのだが。

  少し大きめの鞄屋があり、店頭には目的のキャスターの付いたハードケースの鞄も見える。入ってみる。えんじ色のものが僕の趣味に合うようだ。早速、店員が寄ってくる。個人商店のようだからこの人がオーナーだろう。中を開けてみせてくれる。日本で売っているようなポケットがたくさんあったり、いろいろな仕掛があったりというようなことはなく、仕切の網があるだけのあっさりしたものである。もちろん鍵は掛けられ、取っ手が引き出せて転がして運べる。大きさも飛行機内への持ち込みができそうで申し分なく、気に入った。これに決めた。あとは値段の交渉である。

「ハウマッチ?」
 おやじは鞄に付いている値段票を見た。「$996」とある。約1000香港ドルか。目標を500におく。
「これの3割引でいい」
と日本語で言い、電卓をことことたたいて、値段を示す。「720」となっている。目標よりかなり高い。
「高いなあ」
「どうして高い?じゃあいくらならいいのか?」
 目標は決まっているので、とりあえず素直に告げる。
「500」
「500はダメ。700でどうか?」
 まだまだ値切れそうだ。ただどう進めていくか問題だ。口べたな僕には話題が浮かばない。
「じゃあ、これキープしといて。この辺をひと回りしてあとで決めるから。」
 と言いながら、出ていくそぶりを見せる。
「あとはダメ。今だからこの値段」
 出て行けば戻ってこないと思うのだろうな・・当然のことながら、おやじもなかなか客は手放さない。また少しおやじの言い値が下がってきた。680、650。
「まだダメか。じゃあいくらがいい」
「じゃあ550」
「ん、550。OK。それでいい」

ついに交渉成立。今は1香港ドルが約13、4円だから、7500円程度というところか。720に比べると2500円程度の値引きになる。仕入はいくらくらいなのだろうと思いながらお金を払う。550から比べてもそんなに安く仕入れているとは思えない。おやじもにこにこしているし、これくらいの値段が双方に利益があっていいのかも知れない。いずれにしても自分の趣味にあったもので、あまり高く感じることはなく店を後にした。
帰りの道では同じような鞄に特価の札が掛けられて売られていた。「特価$650」だった。
(日本に帰ってテレビショッピングを見ていると、同じスタイルで布製の物が1万9000円になっていた。なんか得した気分)
買い物 - 香港で (2)
終わり



今ならわかります、東莞の8万元からのマンション。間違いなく1戸ですね。100万円ちょっとですからこの当時はこんなに安かったのですね。 もし60㎡程度の物件が8万元とすると1300元/㎡、当時にしてはけっこう高い印象。香港人向けに作っているのでしょう。

キャスターがついて引っ張っていく鞄はこの当時ほとんど使われていませんでした。で、この鞄を買ったときは嬉しくて自慢げに引っ張っていました。
そのうちこういう鞄が主流になってきて価格もずいぶん下がりました。
丈夫で好きな色だったのでかなり長く使っていたのですが、キャスター部分が壊れておしゃかさま。今は4代目の鞄を・・


久しぶりにこの旅日記を見たら、深圳の今とは全く違う価格でした。給料が少なく物価が高い状況。
確実に中国は豊かになっていると感じました。

1995年の旅日記から
香港・中国/若葉マークの頃【2】の散髪と公安で最初にちょい出したノーグッド兄ちゃんがメインで登場です。


香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 3 - 中国東莞鳳崗工場で

1995年6月 By Sceneway

今日はもう土曜日だ。香港人工場長のラウさんは香港へ帰ってしまった。にこにこしながら生産の副総監の梁さんがやってきた。
彼、梁さんは名前を「参徳」と書き、広東語での発音がサンタ、33才。彼の学校時代では普通話を習っていないそうだ。彼の後の年代から普通話を教わるようになったらしい。従って彼は広東語しか話すことができない。ただし普通話を聞いて理解することはできる。もっぱら彼とのコミニュケーションは筆談と片言の普通話と広東語である。

3年前は主任だったが、人がどんどん辞めていったため現在は副総監になった。総監は全部香港人のため、中国人の最高の役職ということになる。人はいいのだが仕事は少しちゃらんぽらんなところがあり、そのためか、ラウさんにはよく怒鳴られている。確かに自分ではあまり考えることがなく、早合点をして、僕たち日本人の所にやってきて「これノーグッド」を繰り返しては頭をかいて帰っていく。でも、目的や考え方をはっきり示すと、一生懸命達成しようという根性は僕には感じられていた。だから指導のやり方によってはある程度伸びる人間だと思っているのだが。僕が初めてこの工場に来た時に、一緒に仕事をしたり、カラオケに行ったりした一番仲のよい相手である。

彼がにこにこしながらやってきたのは、もちろんラウさんが香港へ帰って緊張がほぐれたからであろうが、それにしてもはしゃぎすぎると思った。かなりストレスがたまっているのかも知れない。以前だと、「これは自分がよくない。この仕事をうまくやらないとこれだ」と言い、首を切るゼスチャーでにっこりしていたものだが、今はそんな雰囲気がない。それでもこの四月には香港へ観光旅行をして、これは香港で××ドルで買ったと言いながら靴や時計を見せてくれるのだが。

  「ハハハーーー」といつもの調子で笑う彼に腕を引かれて工場を出ると、彼は市場の方へ歩いていく。市場へ行く途中にスーパーマーケットができている。まずそこへ入る。ここにはもう2、3度来ているがせっかくなので見て歩く。食品売り場の反対側にはテレビや洗濯機など電化製品が並べてある。ここはまだ見ていない。覗いてみる。25型位のテレビが10万円位となっている。以前はたしか20数万円位だったと思う。安くなったものだ。洗濯機は松下電器製の愛妻号が置いてあるが、その横には全く同じ形で愛妻型と書かれた中国製らしい洗濯機が数分の1の値段で売られていた。いずれをとってもここの人の給料を考えてると安いものではない。サンタに給料はいくらかと聞いても、なかなか言わないが、役職からみても3000元(約3万6000円)程度は貰っているはずだ。このサンタにしても25型のテレビを買うのに3ヶ月分の給料が必要である。

スーパーを出て商店や露店の立ち並ぶ通りにはいる。露店は主に果物を売っている。以前に比べると急速に物が豊富になってきた。たばこなども中国の免税店と同じ値段で売られていて、香港の免税店よりも安い。まずCDを買いにCD店に入った。深圳の方が安いが今の予定では深圳での時間がとれそうにないのでここで少し買っていくことにした。1枚20元となっているが、向かい合うもう一つの棚の物を手に取ってみると70元と書かれている。海賊版と普通の物との違いだろうか。もっとも高い物は買うつもりはない。20元の棚からテレサテンと高勝美、それに周恵敏のCDを買う。サンタは深圳なら13から15元だと言っている。去年は15元で買ったからまた少し安くなっているようだ。ここで10枚のCDを買っても日本では1枚も買うことができない値段である。プラスチックケースの品質はよくないが、音質はオリジナルと比較しても遜色ない。日本で信号の記録状態を調べてみたが全く問題はなかった。10枚買えば1枚くらいはずれもあるが、値段を考えれば気にする事はない。

お金を払うと手持ちの人民元はほとんどなくなってしまった。あとはいつもの店で両替をするか(噂では闇の両替らしいので、率はいい。)買い物を香港ドルで支払うかだが、日程を考えて両替はしないことにした。
果物なども見て歩いたが、茘枝はまだ少し早いため普通の倍くらいの値段がついている。バナナはこの前買ったし、リンゴはあまりおいしくないし、ということで見るだけ。

服屋でTシャツを探した。サンタは衿の付いたものが気に入っているようで、これはどうかと言うように身振りで示し、店員に値段を聞いている。そのとたんに僕の手を引いて外へ出る。どうも値段が高すぎたようである。次の店の展示品のTシャツを品定めする。サンタはチャコールグレーのものを勧めるが、もともとはで好きで原色派の僕は真黄色のものを選んだ。値段は28元。高いと言うと20元になった。展示品はシミはあったが、以前のように安かろう悪かろうという印象はない。確実に品質はよくなっているように思う。在庫の新品と取り替えてもらって買った。

会社に戻るとサンタはさっきのTシャツを指さして「チェック、チェック!」。Tシャツに着替えると少し大きいようだったが問題はない。サンタは「ベリーグー」。
久しぶりの鳳崗でののどかなひとときであった。
買い物 - 中国東莞鳳崗工場で
終わり

2007.03.15 カテゴリ:記録・日記 >  香港中国出張日記1992-1995 

【香港中国わかばマークの頃】 (4) 中国出張日記 - 深圳の駐車場の小姑娘 (1995.6.8)

何でも無法地帯のように見えていた深圳。それだから楽しい思い出もあります。
イミグレを抜けて深圳に入ると待ちかまえていた少女たち、訪問者の手荷物を運んでチップをもらおうとやってきました。
深圳のある駐車場で会社の車が迎えに来るまでの小さな出来事。

香港・中国/若葉マークの頃【4】 中国出張日記 深圳の駐車場の小姑娘

1995年6月8日 By Sceneway

今度で3年目の中国東莞・鳳崗工場出張となる。出発前の話では深圳イミグレ近くの駐車場に6時半頃、迎えの車が来てくれるという事であった。僕は荷物を多く持って旅行などをするのは嫌いなので、なるべく持ち運びの楽な小さな鞄をというつもりだったが、そんなに物持ちでない僕のこと、少し大きいが、2年前に香港で550香港ドルで買った鞄を持ってきた。飛行機内に持ち込み可能という大きさで、キャスターが付いている。運ぶときは取っ手を引き出して使うようになっているものである。駐車場でうろうろしても荷物が邪魔になるようなことはないだろう。

6月8日、12時過ぎの全日空で関西空港を出発、午後4時、香港啓徳空港に到着。
香港に着いたら、香港の会社に電話を入れるように言われているので、公衆電話をかける。
「ミス・メイ・ウォン・プリーズ」
彼女は英語を話すが日本語が分からないので、たどたどしい英語で、今、香港に着いたことを伝えた。彼女はうなずいて、電話を別の人に替わると、日本語が聞こえてきた。香港の会社に日本語の分かる人を新規採用したと聞いていたが、その彼だろう。6時半以降なら何時まででも駐車場で車が待っていると、繰り返し伝えてきた。ありがとうと言い電話を切る。

タクシーでKCR九龍駅へ、電車で国境の駅、羅湖へ行く。いつものように深圳の2階の税関を抜けエスカレータで1階へ。いつもならここからタクシーのりばに向かうが、今日はタクシーのりばを横目に見て駐車場へ行く。外はあいにくの雨が降っている。雨といっても強めの小雨程度で、傘がなくてもまあ何とかなりそうに思える。気にせずキャスター付のバッグを転がせていく。雨に当たると見た目よりは雨が強かったが、会社の車が来るまで我慢するしかない。

歩き始めると10才位の2人の少女が寄ってきた。1人が傘をさしかけ、1人が鞄を持とうとする。振り切ろうとするが、相手もせっかく見つけた「獲物」なのだろう、そう簡単には引き下がらない。身振り手振りの押し問答を続けながら、駐車場までやってきてしまった。ここから会社の車が来ているかどうか、まず確認しなければならない。バッグを引きずって歩く。2人の少女もまだあきらめずについてくる。でも彼女らは明るくて嫌みな感じがなく、ここまで来ると情が移ってしまう。ポケットをさぐると2香港ドル硬貨が出てきた。バッグを持とうとしていた少女に与えるとすぐいなくなってしまった。現金さを感じる。

考えてみると、6時半までにはまだ1時間近くもある。もう一人の少女をお金を渡して振り切っても、あとからもまだまだ別の人がやってくるだろう。それならば、この少女に車が来るまでつきあってもらった方がいいのではないか。もう割り切ることにした。傘の少女には車が来るまで付き合ってもらい、この初めての機会を楽しんでみよう。この一人の少女につきあってもらうことは、他の野次馬のことを考えると具合がいいかも知れない。そう割り切ってしまうと、気分的にも楽しくなってきた。
気持ちを新たにして、彼女と一緒に駐車場を1回りしてみたが、やはり車はまだ来ていなかった。入り口に戻って待つことにした。少女はずっと小さい手で傘を差しかけてくれている。身長の違いが大きくて、持っているのが大変そうなので代わりに僕が持った。傘をどこから仕入れてきたのか、取っ手がなくなっている。

「買い物 2」の時の鞄を使っています。このときの鞄の写真が残っていました。フィルム写真なのでスキャナーで・・
鞄は奥行きがあってよく入りましたが当時飛行機への持ち込み可能サイズでした。その後、このタイプの鞄を持つ人が増えたからか持ち込み可能なサイズが小さくなってしまって持ち込めなくなりました

僕は顔立ちから中国人に見えるようで、台湾では一人で歩いていて台湾人に道を訊ねられたこともあるし、2人の中国人からは「あなたが日本人と言っても、私には中国人に見える」と言われたこともある。でもネクタイ姿にこの鞄では中国人に見えるはずはないだろう。そのためか、少女と二人でいると、雨の中、僕を外人と見て珍しいのか、また何かの「仕事」のネタになるのか、沢山の人が集まってきていろいろ話しかけてくる。中国も結構慣れたつもりでいたのだが、こんなに面識のないたくさんの中国人に囲まれ、話しかけられるのは初めてのことで少々どぎまぎしてしまう。しかし何が起こるかという期待感もあった。

この人達はどういう人たちなのかは分からないが、みんないい笑顔で話しかけてくれる。でも中国語なのであまりよく分からない。この辺りの広東語ではなく、普通話であるところをみると、出稼ぎの人たちであろうか。どこから来たか、タクシーはいらないかというようなことを話しているように思えた。片言の中国語で日本人である事と、会社の車が来るのを待っていることを告げると、一人のおばさんが大きくうなずき、中国語で確認してきた。どうやら通じたようである。

おばさんはどんな車が来るのか訊ねてきた。よく知らないが、ナンバーの下2桁が「76」だと告げる。香港に着いた時に電話で聞いていた。おばさんはバンかどうかと言っている。たぶんそうだと答える。

おばさんはこの少女のことを知っているらしい。関係を聞くと紙に「叫我姑姑」と書いた。私をおばさんと呼んでいる、という意味だろうか。身内かも知れないと思う。また「小姑娘没吃饭给钱卖饭」と書いた。「卖(売)」は「买(買)」の書き誤りかも知れない。この少女はまだご飯を食べていないからお金をやってくれと言うのだろうか。こちらは分からないふりをする。とてもそんなふうには見えない。が、こういう事でお金を稼いでいることは間違いないから、迎えの車が来たら少女にチップを渡さなければならない。この少女にいくら渡したものか、頭の中で計算してみた。

今、僕の行く工場で働いている人の最低賃金は月200元と聞いている。とすると1日10元足らずである。労働時間は9時間だから1時間当たり1元(この時米ドルは85円なので約10円)だ。するとこの少女にはたぶん約1時間付き合ってもらう事になるので、1元渡せばよいということになるが、工場の賃金は食住は支給されることを考えて5元とし、香港ドルで5ドル渡すことに決めた。ポケットには5ドル硬貨と1ドル硬貨が少しある。5ドルというと6、70円で少ないかとも思うが渡しすぎてはいけないという判断である。労働相応のお金でなくてはならないと思う。一般に気前の良すぎる人が多くて相場を釣り上げているような気がする。

一応、車が来るまでの「費用」を概算したところでゆっくり遊ぶことにした。少女にもう一度駐車場をみてみようと言うと、傘をさしてついてきてくれた。この少女は本当にまじめな印象を持つ。おばさんは鞄を見ていてやるからここに置いていけ、と身振りを添えて話している。僕にはこの人達が悪い人たちには思えず、それに従うことにした。パスポートは上着の内ポケットだし、全財産の入ったセカンドバッグを持って行くので、最悪の事態は防げる。

今は地下鉄もでき、羅湖駅前イミグレ前も全面改装されているのでこのときの面影は全くありません。今から考えるとのどかな状況でした。

当時の写真はないのですが、これは2001年、地下鉄工事が始まっていない頃のイミグレ前、10月の国慶節で大混雑の模様。当方、これに少し並んだのですが30分経っても全く動かず、恐れをなしてマッサージに行って夜10時頃に香港へ帰りました。混雑がうそみたいになくなっていました。
手前のタクシーの通っている道を左に行くと、タクシー乗り場、駐車場がありました



やはり車はなかった。あとは待つしかない。さっきの人たちはもういなくなっていた。雨は相変わらず降り続いている。少女は駐車場の小さな管理所を指さし、何か話している。少しだが軒下があり、少しは雨がしのげそうだ。あの軒下に移動しようということか。二人で移動する。軒下に来てしばらくすると、また男が一人、にこにこしながら話しかけてくる。さっぱり解らない。彼女は僕に向かって「ヨウチャ」と言えと言う。はて・・・、あっそうか。有車、車があると言えと言っているのだ。更に彼女は僕に向かっていらいらしそうになりながら繰り返す。「ヨウチャ」。きれいな発音だ。この車という発音は非常に難しく、僕には未だに発音することができないでいるのに、この少女はいとも簡単に発音している。タクシーの呼び込みらしい男は去って行った。

いつの間にか、また一人少女がやって来て側に立っていた。この子は落ち着いた感じを与え、話しかける訳でもなく、ただ横にいるだけだ。もっとも、僕は傘の彼女だけと決めているので、そのほかの人の世話を受けるつもりはない。傘の彼女にと話をする。
「你家在那里」
答えられても解らないだろうが、故郷はどこかを訊ねると
「ホアナン」と言う。
ん、やっぱり解らない。「不明白」と答えると、もう一人の少女は極めてゆっくりと、きれいな発音で「ホアナン」と言い、掌に「華南」と書いた。華南地方はどんな方言なのか知らないが、この子達は普通話が話せるのだろうか。僕はまだ片言の会話しかできないが、彼女らの発音は台湾の発音とも違っていたし、僕には普通話の発音に聞こえる。学校で普通話を学んでいるにしろ、どう見ても十才程度にしか見えない彼女らの語学力はどんなものだろうか。

しばらくすると、さっきのおばさんが何やら言っている。車が来たようだ。少女は「76」と言っている。車を見ると確かに最後のナンバーが76になっている。間違いない。少女に5ドルコインを渡して車に乗り込んだ。どこからやってきたのか、沢山の人が集まってきて手を出す。訳が解らないが、関係した人に1ドルコインを渡す。それ以外の人も迎えの車の運転手にくいさがる。いつもこうなのかどうかは分からないが、初めての経験で少なからず驚いた。運転手は会社の雇われ運転手で、もちろん中国人である。適当にあしらって車を走らせた。

僕にとっては楽しい駐車場での出来事であった。再び駐車場に行く機会ができ、同じ体験を期待したが、同じ道を通ることができなかった。駐車場に向かう駅の出口がシャッターで閉ざされてしまったのである。駐車場に行くのには、タクシーのりばを大回りしなくてはならなくなった。前の出来事が影響しているのだろうか。僕にとっては楽しかったのではあるが、人民政府にとっては面白くないのかも知れない。その気持も分かるが、僕には残念であった。ただ駐車場付近を歩くと、いつものようにタクシーの呼び込みが盛んではあったが、もうあの少女達と会うことはないかも知れないと思うと少し寂しい気持が残ってしまった。
中国出張日記 駐車場の小姑娘
終わり


これは1995年のことです。お金は相場を上げないよう注意して金額を決めたのですが、今、この出張日記を見ると最後で彼らが叫んでいたのは金額が少なかったのかも知れません。
んー、でもやっぱり当時としてはこれぐらいの金額が妥当でしょう。

このあと、イミグレの出口からこの駐車場へ抜ける近道は封鎖され、さらに公安の手配によるものか、たくさんいたこの種の人々がいなくなりました。
雨の日などは鞄を持ってくれる人がいると楽ですし利用方法もあるなと思っていた矢先だったしちょっと残念でした。



最近は治安を維持するために混雑地ではこういう電気自動車のパトカーがよく走っています




2007.03.16 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(70) 大理石屋を見学 (2005.3.31)


【70】  2005年3月31日雨のち曇  大理石屋を見学
今日は元設計士とともに大理石屋を下見する。元設計士とは世界之窗で待ち合わせ。
皇崗から427路のバスはめちゃ遅かったが何とか10時20分頃に世界之窗に着く。

元設計士と20路のバスで南山へ。少し迷いながらも石屋街を無事に発見。彼女が中心になって話をし、値段を探ってくれる。内装材料センターの世紀中心よりも20-30%安いという。店の名刺をもらいながらめぼしいところを回ってあたりをつけていった。

近くに彼女のふるさとの湖北料理屋で食事。少し辛かったが味はいい。けっこう食べるが量が多すぎてお持ち帰りする。
350路のバスで香蜜山に近い「車公廟」へ行き、彼女と別れる。明日は僕1人で南山の大理石屋へに行って話を決めることにした。

香蜜山へ行き、ひとしきり写真を撮る。
この棟を最上階から歩いて降りることにして、ドアが開いている内装中の部屋を見学して回る。1カ所、オーナーのような人がいたが、僕が入って行ってもちらっとこちらを見ただけで気にも留めてない様子。話しかけようとするがどう言えばいいか分からず。

地下の仮店舗へ寄って、木地板の話をキャンセルすることを伝える。(前に嘘をつかれたので・・・)

15,000歩

 一般的に周りの内装中の部屋を見学するようで、この日は私もその「風習」にしたがって見学して回りました。私のところに比較してけっこう派手でうらやましくもありましたが作り方としては雑さが目立ちます。私のところは設計会社がちゃんとしているのか、大工さんのレベルによるのかわかりませんがかなり良好な仕上がりと感じました。多少優越感でした。ただ、設計にもう少しおもしろみがあれば良かったのですが・・


進行状況

タイル貼り状況
 




 




大理石屋


2007.03.17 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(71) 大理石屋の選定と種類の決定 (2005.4.1)


【71】  2005年4月1日  大理石屋の選定と種類の決定
香港に元設計士から電話、今日南山へ大理石を手配に行くかどうか聞いてきた。

深圳へ。羅湖のバス停に大理石屋へ行く350路が見つからず、地下鉄で香蜜湖へ行く。香蜜湖からバス。案内を見ると223路が行きそうなので乗ってみると行かないというので次の停留所で降りる。しばらくすると350路のバスがやってきたので乗る。目的地の停留所名がわからないので南山医院付近と言って切符を買う。2元。

前日の視察で元設計士の感想で雰囲気がいいと言う店にほぼ決定している。見覚えのあるところでバスを降り、歩いて大理石屋へ向かう。一発で見つかった。沙岩のサンプルを届いていた。木目模様の石できれい。

とりあえず使用する石を選定する。下駄箱上部の壁にはこの木紋の沙岩を。360元/㎡。玄関の大門の敷居(门槛)には赤い大理石で白い縞があるもの、「紫羅紅」というらしい。500元/㎡。キッチンのドア敷居には白い大理石「牙加白」530元/㎡。2つのトイレには緑の「大花緑」と言うもの。350元/㎡。一番数量が必要なリビング・テレビ台の後の壁の大理石には白い「牙加白」。

大理石の大きさの測定をすると言うので大理石屋の小姐1人と一緒に香蜜山へ向かう。まずバスに乗って車公廟へ。銀行へ寄ってお金を引き出してからタクシーで香蜜山の現場へ。
 元設計士に連絡すると、「香蜜湖にいる、これから向かうので、名雕装飾公司の設計士(元設計士が辞めたあとリリーフした設計士)にも連絡を取ってくれ」とのこと。

香蜜山の内装現場で石屋の小姐としばらく待つと、元、リリーフ設計士2人がやってくる。石は元設計士に任せて...
リリーフの設計士が塗装の色の件でまた聞いてくる。作業者とちょっと雰囲気がおかしい。元設計士の思惑とも違うみたいでちょっとはっきりさせた方がいいかも知れない。リリーフ氏の技術力はどうか分からないが段取りがちょっと気にかかる。元設計士はあさって、色のサンプルを前にリリーフ設計師と作業者、それに僕の3人で色をはっきりさせようと提案で賛成する。

大理石屋さんは明日また打ち合わせをしたいらしい。元設計士は勉強があるので5時に香蜜山で待ち合わせることにした。

11,800歩

ただの石屋の小姐と思っていたら、「私の娘だ」とすでに引退したみたいな感じのこの店のオーナーが教えてくれました。実権を持つ小姐でした。
右に大理石のサンプル板が見えます。



水を潤滑剤にして大理石を切断しています。
元設計士が雰囲気がいいと言ってたのはこの夫婦



350路は羅湖を通らず、223路のバスは大理石屋の途中までしか行かないバス。路線図を見て判断したのですが、まだ土地勘がだめなようで。

ただ深圳のバスは寛大です。車掌のいるバス(行き先で料金の変わるバス)で乗り間違いはお金を取らずに次の停留所で降ろしてくれます。このときもお金を払っていません。
でも悪い客もいるもので、この習慣を利用して1駅だけバスに乗るちゃっかりものもいます。まあ確信はないのですがそう見える時があるのです。

2007.03.20 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

香港初在住日記(72) 東莞工場で シンガポール人技術者 (1997.3.12)

【72】 1997年3月12日(火) 東莞工場で シンガポール人技術者

シンガポール人青年、ユーさんは別機種で問題が出て悩んでいる。彼はカスタマーサイドの技術者で僕にはお客さんの立場だ。

この中国工場は朝鮮族中国人も多く、日本人、香港人も多いので中国語の標準語である普通語、そして広東語、日本語、英語、それに韓国語と5つの言語が飛び交っている。英語は香港人と日本人のメインのコミュニケーション語。中国語の普通語と広東語は日本で言うならば東北語と鹿児島語ほどの差がありほとんど外国語。

このユーさんはこれら5つの言語のうち韓国語をのぞく4つの言葉を話せる。日本人にとっては驚異の技術者である。香港人は英語を話す人が多いし、話せなくても聞いて理解する程度は日本人の比でない感じがする。

やっぱりこちらで思うのは自国語しか話せない人の多い日本は何か特殊な存在のように思える。海に囲まれた島国のなせる「技」か・・・・
ユーさんの話を聞く。彼は責任感も強くまじめそうな印象。いい雰囲気。

香港人に「英語を話せますか?」ときいて「Sorry」と言う返事でも、話せないだけでほとんど理解できているような感じがします。「英語がわからない」と言うレベルは、日本人と香港人では大きな差があるように感じます。
そして中国人が「英語がわからない」と言えばそれは全くわからない、という感じ。同じわからないと言っても国によってレベルが大きく違います。

そういう中国人も中国語の方言を何種類か話せる人は多いし、上達も早い 気がします。中国語の場合、方言はほとんど外国語という印象ですから何種類話せる、と言うことは私にとって何カ国語を話せる、と同じ意味です。日本を離れると語学力に乏しい私は軽い劣等感。

海に囲まれて外国語を話す理由がなかったからこうなのか、それとも民族的に語学力に弱いのか・・・
んー、どうなんでしょうね。

2007.03.21 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

香港初在住日記(73) 東莞工場で ある朝鮮族中国人の恋 (1997.3.13)

【73】  1997年3月13日(木)  東莞工場で ある朝鮮族中国人の恋

大変な一日だった。

僕が面接して入社した開発部のあの小姐が寮でお金を盗まれたという。500元。たいそうな金額だ。夜8時に退社後、日本人、香港人数人で寮となっているアパートへ出かける。
初めて寮を見る。普通の中国風の内装。内装を少しきれいにすれば日本人でも住める感じがする。ベッドは2段ベッドではなくすべて独立のベッド。4階が小姐4人の部屋になっている。ここでお金が盗まれたらしい。

彼らの要求としては出入り口と各部屋の入り口を頑丈にすること、貴重品は会社に置いておけるように会社に個人用のロッカーを欲しいと言うこと。僕の感想は、環境としては日本人から見るとスペースが少ないが、香港に来る前に出張できていた鳳崗の寮を思うと段違いに待遇はいい。
鳳崗の寮は普通のワーカーだと8畳ぐらいの部屋の壁に沿って2段ベッドを5つ配置、10人部屋になっていたし、少し高級な立場の人でも2段ベッドで4人部屋か2人部屋だったし、床はコンクリートむき出しだった。

ゲストハウスに戻りH氏とくつろいでいると総務の残留孤児であった日本人のHSさんがやってきた。
開発部の2人が酒を飲んで暴れて公安に連れて行かれるところだったという。説教をして欲しいとのこと。ぎょぎょ、何という日だろう。

食堂へ行くと普段愛想のいい二人がいる。少しショック。その中の1人の朝鮮族の彼が勢いづいて話し始める。勢いよく中国語を話すのでH氏の語学力がついていかない。HSさんを呼ぶ。

朝鮮族の彼は漢族である製造のラインリーダーの彼女とつきあっていたらしい。彼は本気だったようだ。彼女は彼が朝鮮族であること、学歴が違うことなどを理由として結婚できないと会社を辞めたそうだ。
彼は今日酒を飲んだ勢いもあるのだろうが、11時頃に彼女のいる会社に行き門番の守衛に彼女に会わせて欲しいと言ったという。守衛は拒否し押し問答のあげく守衛が彼を殴ったと言うことだった。

彼は間違ったことはしていないと日本語で言った。これは『嘘は言っていない』と言うことかも知れないとあとで思った。
HSさんは中国語で彼にいろいろ言って聞かせていた。H氏も少し日本語で付け加える。

骨子は、彼がここで働くためには許可証が必要で、会社がその手続きをしており会社は保証人にもなっている。したがって彼の行動は会社にも責任の及ぶものであるので気をつけて行動して欲しい、大学も出ているのだからちゃんと分別しなさい、というものだった。

多民族国家の問題点を考えさせられてしまった。

2007.03.23 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(72) 大理石打ち合わせ、キッチン用品 (2005.4.2)


【72】  2005年4月2日  大理石打ち合わせ、キッチン用品
世紀中心の前にも内装材料センターがあるのに気づいた。入って大理石の値段を調べる。南山は確かに安いがここにも砂岩の安いのがあった。安すぎるのでちょっと心配はあるが280元(1㎡)となっている。半端な安さではない。何が違うのだろう。輸入品もかなり安い。

世紀中心へ。大理石を確認していると南山の石屋さんから電話、もう大沖を通過中だと。約束の時間にはかなり早い。こちらもあわてて向かう。

香蜜山の現場に行くと油漆(塗装)の人が色のサンプルを持って待っていた。さすがにわかりやすい。見ながら元設計士たちが来る前に構想を練る。午後5時過ぎ、やってきた。

大理石関係の設置のために元設計士と石屋さんとの打ち合わせ。門檻(大門やトイレなどのドアの敷居)の大理石、砂岩、玄関に使用する大理石の床などの構想。それにテレビ台の後部の壁に使う大理石。思ってたよりも出費が多くなりそう。

設計者と共に油漆の色を決定する。全室同じ色で統一、各部屋は壁紙を変えて変化をつける。据え付け家具は現在、白木のままだがこれに色を塗る。色と行っても半透過、生地の模様は見える。サンプルは普通の茶色、赤など。普通の茶色は面白みがないし、赤はどぎついし遊郭みたいなので茶色と赤を混ぜてローズウッド調にならないか提案する。

入り口の門の上下にある手動ロックが壊れる。管理所に言うとすぐにやってきた。すぐに修理してくれた。たぶん安全性のためだろう。

元設計士と2人で内装材料センター、楽安居に行く。
まず便器、TOTOのトイレ屋さん、僕の仲間から情報を得ていたウォシュレットの値段が安くなったのを知らなかった。調べると言っていた。
そしてシステムキッチン屋によってキッチンの測量を依頼。
さらに換気扇(レンジフード、写真)、コンロ、消毒櫃(消毒槽)も買う。結局コンロはドイツ製のもの、換気扇、消毒櫃は多田製のものを購入。20%OFF。でも2,000元の予算オーバー。
コンロ、消毒櫃はシステムキッチンの中に組み込まれるのでシステムキッチン屋に寸法など直接連絡してもらうことになった。システムキッチン屋はすぐ近くのブース。

多田製の消毒槽、ちょっとうさんくさいのでホームページのアドレスを検索、日本の多田(Harman)にメールを出して確認していたが返事が来た。香港の ユニオンガスがそれに当たるらしい。問題なさそうか・・ 有名メーカー数社に問い合わせて全滅だったIHクッキングヒーターの海外版もついでに聞いてみたがやっぱりないとのこと。 

11,000歩

香蜜山の現場からほど近く、値切り交渉が可能なのでよく使っていた楽安居(簡体字は"乐安居")です。ここからほど近いところに百安居もあります。




2007.03.24 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

中国深圳初内装日記(73) フローリング材、壁紙視察 (2005.4.3)


【73】  2005年4月3日  フローリング材、壁紙視察
少し太陽が見えるが、空気の透明度は最悪になった。

元設計士は午前中12時まで勉強だと言うことで、1時半に楽安居で待ち合わせてフローリング(木地板)と壁紙を見に行く。
楽安居の入り口で待っていると、彼女が串刺しになったパイナップルを食べながら入ってきたのにはびっくり。なかなかユニーク、思わず笑ってしまう。彼女が僕も欲しいかと聞く。僕も買い食い。1元。

フローリング(木地板)は今香蜜山の仮店舗で扱っている「茂木」ブランドもあったので見てみたが彼女はよくないという。
香木のように香りが良く高級な「玉檀香」という木材ももそこそこのメーカーでけっこう安いのがある。これは他の木材と違って、香りを残すため、つや出しとかの表面加工をしない。
「金三鷹」というブランドを扱っている店に入る。聞くと、玉檀香を明日から香蜜山で内装工事すると言う。7棟3Aでやるというので明日見学に行ってみよう。

壁紙(墙纸)を見る。彼女の友人の紹介の店らしい。確かに雰囲気はいい。たくさん色があるので選ぶのが難しい。日本製、ドイツ製、イタリア製などがあり、かなり面白い。だいたいの候補を決めて後日また来て考えることにする。サンプルもよくまとまっているし、壁紙を貼る糊は日本それも京都製を使うという。(後日ある人から聞いたところによると、友禅染で色止めをするのに糊を使うので京都は糊の研究が進んでいるのだそうだ)

すでに5時前、彼女は友人と待ち合わせがあると言い、僕ひとりで香蜜山へ向かう。
すでに職人は帰っていた。中にはいるとシンナーのにおいが...
白とローズウッド調の赤系の色の2色で統一することにしているが、白い色が概ね塗り終わっているようだった。次はどんな色になるのか..

久しぶりに東海坊の日本料理を食べてから香港に帰る。

10,200歩


内装材料の購入も中心材料になってきました。金額も高いし見た目もあるので慎重に・・・


白い部分の塗装が施された家具
書斎の本箱


多効能房の机


2007.03.27 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

香港初在住日記(74) 東莞工場で - ちょっとしたトラブル (1997.3.14)

【74】  1997年3月14日(金)  東莞工場で - ちょっとしたトラブル

今日香港からやってきたKさんと口論。僕が面接した新しい小姐の出勤日が数人の関係者との打ち合わせで来週月曜日からの出勤ということになっていた。
ところがKさんが今週の火曜日あたりに彼女に連絡を取って急に出勤しなさいということになってたらしい、そして彼女のお金が盗難にあった。

聞くところによるとKさんはいきさつを知っているとのこと。ところが出勤日を変更するに当たっては独断でやっていて僕たちには知らされていなかった。我々は顔をつぶされた格好だ。なんかむなしい。

 今は確認するすべはないのですが、もしかしたら、出勤日を早めたことと盗難とは関係ないと自分で思いたかったのでしょうか・・・
でも会社として命令体系ができていないのは問題かも。


今回の問題とはあまり関係がないのですが・・・

仕事が順調だと人は天狗になりやすいものですが、それが極端になってくると大切なカスタマーの扱いもおろそかになったりしてきて、それも要因となってだんだん仕事がなくなっていくような気がします。

自分にとって面倒な仕事を完全に人に任せてしまうとこれまたやっかいです。言葉の問題もあって大変なのですが、ポイントをはっきりおさせるために自分もその仕事をある程度やって内容を把握しておいた方がいいような気もしました。

自分で渦中に入っていると何ですが、外から見るといろいろ客観的にとらえられるものですね。

とある中国の工場の風景 (日記の会社ではありません)

2007.03.02  
中国深圳初内装日記(68) TOTOウォシュレット、バスタブ (2005.3.29)
2007.03.03  
中国深圳初内装日記(69) 大理石とフローリング材 (2005.3.30)
2007.03.04  
【奈良帰省日記2007.3】(1) 一年ぶりの日本へ | 2007.3.4 |
2007.03.05  
【奈良帰省日記2007.3】(2) スーパーへ | 2007.3.5 |
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【奈良帰省日記2007.3】(7) 深圳へ | 2007.3.11 |
2007.03.13  
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2007.03.14  
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2007.03.15  
【香港中国わかばマークの頃】 (3) 買い物 三態 (1993-1995)
2007.03.15  
【香港中国わかばマークの頃】 (4) 中国出張日記 - 深圳の駐車場の小姑娘 (1995.6.8)
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