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2007.02.01 Intermission  奈良・春日大社での結婚式2007.02.02 トミーズ事件について2007.02.02 中国深圳初内装日記(60) タイル交換受け取り (2005.3.17)2007.02.03 中国深圳初内装日記(61) スズキの車を買った中国人 (2005.3.19)2007.02.04 【旅の思い出】 杭州・蘇州の旅2007.02.05 【ハプニング】 深圳のバスの治安 - スリ2007.02.06 香港初在住日記(62) 鄧小平の死と香港人の感情 (1997.2.20)2007.02.07 香港初在住日記(63) 日系アメリカ人Mr. KK (1997.2.21)2007.02.07 【深圳 冬】 深圳からオリオン星座2007.02.09 中国深圳初内装日記(62) 内装設計会社へ第3回目の支払い (2005.3.21)2007.02.10 中国深圳初内装日記(63) 内装材料店巡り、不動産携帯メール (2005.3.23)2007.02.12 【香港中国わかばマークの頃】 (1) 初めての海外旅行 - 香港ひや汗紀行 (1992.1.11-14)2007.02.13 香港初在住日記(64) キット・チャン、陳潔儀 (1997.2.25)2007.02.14 香港初在住日記(65) 冬の蚊 (1997.3.1)2007.02.15 こよみ 太陽暦と太陰太陽暦 【深圳 歳末】 花の準備2007.02.16 中国深圳初内装日記(64) いろいろな内装材料仮店舗 (2005.3.24)2007.02.17 中国深圳初内装日記(65) 地板工場見学 (2005.3.25)2007.02.18 【深圳 冬から春へ】 陰暦大晦日から新年へ - 深南路の大晦日2007.02.20 香港初在住日記(66) 中国工場PartⅡ第3日 (1997.3.2)2007.02.21 香港初在住日記(67) 通訳の面接 (1997.3.4)
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2007.02.01 カテゴリ: 日々つれづれ 

   Intermission  奈良・春日大社での結婚式

Intermission  奈良春日大社での結婚式
奈良時代の藤原氏の氏神をまつる神社です。藤原氏の氏寺は興福寺。

kasugataisha-1.jpg

kasugataisha-2.jpg

2001年1月28日撮影

2007.02.02 カテゴリ: 思うままに 

   トミーズ事件について

漫才コンビ「トミーズ」海南島事件
漫才コンビ「トミーズ」謝罪 中国での尻出しは法律違反―海南省三亜市

ぱーたいさんのブログに掲載され初めて知りました。ちょっと激怒。(言い方がおかしい・・)
ABCのトミーズのホームページにメールを送りました。

内容は
私は奈良生まれ。インターネットのおかげで中国深センにいながら近畿の言葉を思う存分楽しんでおります。
貴番組も私の愛聴番組の一つ、毎週楽しませていただき感謝しております。
初めてお便りさせていただきます。

こちらの新聞にも大きく取り上げられています、1月27日海南島三亜での事件、複数のニュースでほぼ同じであることから真実だと思いますが、どうなのでしょうか?

香港、中国などでも日本製品の良さは群を抜いており、そして会社もそれなりの信用を持って迎えられております。これらは先陣の日本人が筆舌に尽くしがたい苦労をされて築き上げられてきたものと感謝しながらその恩恵を受け、これらの信用を落とすまいと日夜、一生懸命がんばっております。

信用というものはなかなかすぐには得られないものですが、そういう人々の努力苦労というものを一瞬にして無にしてしまうことは可能です。その大きな事件は珠海の買春事件、そしてそのあとの政府の対応がそれでした。あのとき私は香港に住んでいましたが、しばらくは香港人と顔を合わさないようにしなければなりませんでした。

そして今回の問題です。私には寺側が激怒するのは当然だと思えましたし、それは簡単に予想できたたぐいのものだと思います。
番組でもああいう癖のあることを言っていらっしゃいましたのでただのノリでやられたことだと思いますが、そんなことをして受けているのは身内だけではないのですか?
私なんかでもいいおっさんのものを見たら気持ちも悪いし、多くの人も同じ印象ではないのでしょうか。

どうか中国にも一生懸命働いて信用を作るために努力している日本人がいるということを察していただいて今回の事態、よくお考え下さり、責任を持って逃げずに誠実に事後対応していただけることを切に願っております。

おそらくこのような手紙は無視されることはわかっておりますが書かずにはいられない気持ちをお察し下さい。 では失礼いたします。

2007.02.02 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(60) タイル交換受け取り (2005.3.17)


【60】  2005年3月17日  タイル交換受け取り
今日はタイル交換の日。まず香蜜山へ。
木工部分が少し仕上げられていて何か塗られたのか、気の色が生き生きとしていて、見た目がかなりよくなっていた。
欠けたタイルを用意してきた袋に詰め込みタクシーで出かける。18元。往復36元か...と考えてしまう。

新しいタイルを確認して受け取る。新聞紙で包んでくれた。再び袋に詰め込みタクシーへ。
タクシーは若い女性の運転手。おばさんの運転手は数度見たことがあるが、これだけ若い女性は初めて。運転技術は初心者のようだったが、香蜜山を知っていた。香蜜山と言ってすぐ分かってくれたのは初めてなので楽だった。

10,700歩

カメラは心当たりをチェックしてみましたがやっぱりありません。以前使っていた130万画素のものを再登場させ、とりあえずこれで乗り切ります。

どこでもそうでしょうが買うときはサービスがいいのですが、返品や交換となると冷たい反応です。
私はこういうのを面倒がるタイプなのでちょっと疲れますが、こちらにいればこういうのを面倒がっていれば安価で上手な生活はできません。その点、日本製は品質十分なのでいいのですが、値が張ります。

タクシーでマンションの名前を行っても新築のため所在を知っている運転手はごくわずか。道を教えながら行かなくてはなりません。これが面倒。この日は珍しく知っている運転手に遭遇、ラッキー。


復活させた130万画素カメラでの画像
木口貼り、化粧板貼りの施された木工


 

 


2007.02.03 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(61) スズキの車を買った中国人 (2005.3.19)


【61】  2005年3月19日  スズキの車を買った中国人
久しぶりのいい天気。空気は少し冷たい。今日はかつての同僚の中国人との約束の日。彼はいつも遅刻なのでそれなりに対応しよう。
香蜜山へ。油漆工が来ていた。塗っているのは砥の粉だろう。色合いをどうするか考えておいた方がいいのだろうか。食卓部の食器入れの戸は実装されていないができていた。

しばらく観察したあと、323路のバスで経済特区からはずれる宝安へ。6時過ぎに到着。約束は6時半だが遅れてくるだろうという推測でまず軽食を。あとGパンを買う。彼から電話、着いたらしい。
彼は買ったばかりの車でやってきた。SUZUKIの1200cc。オプションはCDぐらいしかないが、7万元だという。
会社を辞めて会社を作るつもりだと言う。妹の会社は失敗して数万元の損失だとか。
珈琲ショップでご飯を食べて別れる。すでに9時をすぎている。
検査站まで送ってくれる。

362路のバスを待つが、337路の羅湖駅行きが早く来たのでこちらで帰ることにした。7元。ちょっと高い。
11時頃帰宅。

13,000歩

彼に言われて気づきました。中国のWTO加盟後、車もどんどん安くなってました。以前聞いたのは会社で使う車など、税金が100%ぐらいかかるので日本円で500万円ぐらいとか言っていたのに、このころにはスズキの車でさえ7万元、100万円で買えるようになっていたのでした。白タクなどで話していると5万元、3万元で買ったと言ってますから。1万元ぐらいでもあると言ってました。中古でしょうけど。

私はペーパードライバー、車には疎いです。彼の買った車、車好きな友人に見せたところ、このような車はスズキでは知らない、と言っていました。ただ、偽物ではないように見えましたので中国向けの特別バージョンかも・・・
7万元とは言えど、中国ではやっぱり車はまだ貴重品、彼の態度がちょっぴりセレブです。おまけに運転が慎重この上なく・・


目止め




ダイニング、食器入れの扉
オリジナルの設計ではすのこのようなままなので、あとでガラスを入れるようにしてもらいました


彼が買ったスズキの車

2007.02.04 カテゴリ: 旅行 

   【旅の思い出】 杭州・蘇州の旅


【旅の思い出】 杭州・蘇州の旅
2000年 8月

杭州


杭州

2000年の夏、会社で10日間の休暇をとって上海近くの蘇州・杭州へひとり旅に出ました。1996年、香港に出てきてから初めての中国旅行。
杭州と蘇州へ行くと決めて香港から行きと帰りのチケットをとっただけで細かい日程は決めずに出かけました。

ひとり旅のぶらぶら旅行といっても、杭州には杭州人の友人が彼女とふたりで旅館の手配をしてくれたり、鍾乳洞を案内したりしてくれました。
蘇州ではネットで知り合ったばかりの日本人がこれまた世話を焼いてくれたこともあってひとり旅という印象の少ない旅行になりました。

それでも日程の半分以上はひとり旅だったわけでいろいろ経験もありました。このころはまだ言葉も困難が多かったので・・・

杭州・西湖は30元程度で観光舟。小さな小舟で西湖内のいくつかの小さな島を巡ります。
島巡り後、船着き場の前には「車で10元の観光案内」と言う紙を見せる客引きのような人たち。

車で10元は安すぎるので何があるのか、私の中国語の解釈も難があるので少し不安に思いながらも好奇心が勝ってしまいました。
車に乗り込み、まず「龍井問茶」へ。龍井茶は緑茶で日本の玉露に似た味。お茶は好きなので買いました。すごくいい香り。
運転手は私からお金を受け取り買ってきてくれます。
ほかには中国の名産品店とか真珠店とかをまわりましたが、私にはこれらは全く興味なし。買わずに過ごします。

運転手はだんだんいらいらしてきました。結局買ったのはお茶だけ。運転手はもう怒髪天の気持ちを抑えているのか・・・
適当なところで降ろされ、追加の金を要求されました。すったもんだで5元だけ払いましたが、運転手は収まりきれない様子で戻っていきました。

そういうことだったんです。いろいろな場所へ連れて行って買った分のマージンを店から回収することで儲けるのでした。私が買わないので利益が出なかったのでしょう。
龍井茶の時はバックマージンのことを思ったので即座に頭の中で計算、10%程度のマージンを取ったと感じましたがあくどいことはないですね。

ただこれはみんな承知で行くのでしょうか。だとすれば私は申し訳ないことをしたと言うことになりますが・・・
この辺が言葉の不自由な時の功罪でしょうか。



西湖








西湖湖畔 ここから10元観光車が出発


龍井茶の入り口。
この奥にミニ滝やらのこしらえがあって立派な龍井茶会館みたいなものがありました




日が変わって杭州人の友人が連れて行ってくれた鍾乳洞の近く


鍾乳洞の中庭みたいな・・




さらに友人の友人が龍井茶をやっているとのことで家に連れて行ってもらいました






龍井にある龍井茶の会館です




六和塔


霊隠寺


霊隠寺






【旅の思い出】 蘇州


蘇州

さて、杭州から蘇州へバスで行こうかと思ったのですがバスのチケットが売り切れで往復とも列車で移動、蘇州へは軟座(1等)、蘇州から杭州へは硬座(2等車)で。
中国で列車に乗るのは実質1回目、ハプニングもありながらの蘇州入り。

今はなくなりましたが、杭州・蘇州を旅行した2000年当時、深圳でも宝安あたりでは人が座れるようにした荷車を自転車で引いてタクシー代わりにしている力車、それにオートバイのタクシーがあり、けっこうおもしろがって利用していました。

蘇州でも力車が走っていて、朝、町を歩き出すと客引きの力車がひっきりなしに声をかけてきました。で、思いつきました、力車を1日チャーターして観光できないかと。
感じのいい「運転手」を選んで交渉、100元ちょっとでまとまり1日一緒に観光することになりました。

なんか簡単な力車なので自分で作ったかと思いきや、お上への手続きがいろいろあるそうでタクシー会社みたいなのがあって、そこから借りるのだそうな。自分でやると何万元も必要とのこと、いつの時代でもどこでも権力を利用して働かずに儲けようとする人が多いようです。

運転手と話をしながら各観光地へ向かいます。どうやら彼は反体制的な意見の持ち主のようでした。腹を割って話してきて気持ちがよかったですね。一番最後に 蘇州のシルクを売っている店に連れて行きました。私はいつも通り買いませんでしたが彼の性格からしてマージン稼ぎには思えませんでした。
最後の別れ際に彼は握手を求めてきました。

中国では交渉次第でいろいろなことができるな、とその自由さを面白く感じた旅行でした。



2000年8月当時の写真です。

北寺塔から見た蘇州



北寺塔


虎丘


留園




蘇州の水郷




寒山寺






力車


拙政園




当時の杭州空港


2007.02.05 カテゴリ: ハプニング 

   【ハプニング】 深圳のバスの治安 - スリ


深圳のバスの治安 - 数度のスリ被害の経験から

2007年2月5日

2006年の6月末に深圳経済特区内でのミニバスが廃止されました。その代わりみたいに新しい路線には大型バスの長さを短くしたバスを見かけるようになりました。こうしてミニバスに乗らなくなると、ミニバスはちょっと怖い感じがしてきます。特区外へ行くと今もミニバスが走っていますが、乗ると緊張感が走ります。逆に言えば深圳特区内は安全性が増したと言えるかも知れません。


香港のミニバス
深圳特区内で廃止されたミニバス
香港でミニバスは定員以上の客を乗せて走ることはありませんが、当時、深圳ではおもいきり詰め込んで走っていましたので物理的にも危険があるかも知れません。

最近は滅多にありませんが、バスに乗る頻度が半端でない私は以前にバスでけっこう被害に遭っています。

特区内のミニバスではズボンのおしりのポケットをナイフで切られました。このときはミニバスに乗る前におしりのポケットの財布を胸のポケットに移していたのですが、名刺入れがおしりのポケットに入れてあったのでおそらくこれを財布と思いポケットを切ったのでしょう。
切られた感覚は全くありませんでしたし、犯人と思われるのはこざっぱりした身なりの男性。ほかに席があるのに私の横に座りました。

特区外でのミニバスではズボンのベルトに通す携帯電話ケースから携帯電話をすられています。このときは急に乗客が増えてきてそちらに気をとられ、自己防衛のスタイルをとることを失念していました。ただ携帯電話は、安物、フル充電でも電池が1日ももたなくなって来ていたので(新品電池でも同じ)、ちょっと嫌気がさしてきていたと言うことも油断に関係しているかも知れませんが、SIMカードの再発行手続きがうっとうしい。


特区外の中距離バス
特区外の中距離大型バスでは鞄の外側の部分をやはりナイフで切られました。2回。一度は隣の男がスリだと見抜いていながら防衛できませんでした。ただ、こういう時の鞄は安物の上、外側の袋には貴重品は入れませんので2回とも切られたこと以外の被害はありません。でもじんわり腹が立ってきます。
このときも特区内のミニバス同様、犯人はこざっぱりした服装。

で、いろいろ経験を元にスリを見抜いて難をさけたと思える出来事が数度。

以前、日本語を話す朝鮮族の中国人が日本へ行き新幹線に乗ったとき、連れの日本人と一緒に荷物を座席に置いたまま食堂車へ。長時間の後、荷物がそのままあるのを見て感激したと話していました。
ただ、いろいろなニュースを聞くと、こういう種類の治安の良さは日本だけといえるでしょう。海を越えれば、自分の身は自分で守らなければなりません。いわば、無菌培養で育った日本人、防御態勢が自然にとれるように授業料と訓練が必要なのでしょうね。



いろいろなバス

 

 

 
バスの切符

2007.02.06 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(62) 鄧小平の死と香港人の感情 (1997.2.20)

【62】  1997年2月20日(木)  小平の死と香港人の感情

今日は朝から小平のニュースばかり。どのチャンネルでもテレビは放映している。タイマーでNHKニュースといくらかの民法をビデオに撮っておく。
通勤時、九龍湾駅で初めて新聞を買う。保存しておくため。新聞は5香港ドル、80円だが袋に入ってどっさりある。ニュース、芸能、スポーツなど、分野分けされている。

会社では特別どうということはないが香港人Mr. Cと話をすると(今)中国へ行くのは危険だ、と繰り返している。中国のことだから指導者が替わると政策がどうなるかわからない、と。
7月の返還の話をするが、周りの反応が静か。この話はしない方がいいかもしれない。会社の技術部門の中国への引っ越しで、みんな中国へ行くことになっているし不安に違いない。日本人にはまずわからないだろう。とにかく明日、香港人の相方は中国へ行く。
今日は相方ともうひとりの香港人と3人で夕食を。



このころの香港人を見ていると中国のことにはすごく敏感だったように思います。民族として同じですから気持ちがわかるでしょうし、侵略者としてのイギリスの教育を受けているわけですから、中国のことは都合のいいように教えられているはずですから、不安になるのは当然だといえます。時勢に乗って工場や技術者の中国への移転が盛んになってきていましたが、中国へ移転すると言われて技術者の95%が会社を辞めたところもあるぐらいです。事務所は深圳羅湖の一等地、地王ビル、条件として中国側では毎日送迎の社用車を走らせる、という待遇にもかかわらず・・・

こういう話も今では昔話になりつつあります。深圳・皇崗のイミグレに近いマンション群では、香港のスーパーや店がたくさんでき、マンションの構造も香港みたいで、すでにミニ香港みたいな様相になっています。会話も広東語が主流になっている所も多くなりました。
もっとも広東省では深圳が唯一普通語(標準語)の地域ですが。

道行く人に香港人が増えている「崗厦」


2007.02.07 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(63) 日系アメリカ人Mr. KK (1997.2.21)

【63】  1997年2月21日(金)  日系アメリカ人Mr. KK

香港人Ms.Oが僕のマンションのことで話をしに来た。技術部が中国へ移動するので今のマンションはもったいないので別の用意された所へ移るようにとのことらしい。前の話では今のマンションをキープするとのことだったが・・・

僕の後ろでMr.KKが部下の日本人女性と話をしている。彼女がインドに行ったときの話をしている。彼は「僕はとてもそんな所には行けないよ。彼ならたぶん大丈夫だよ」と僕のことをいっている。僕もまあ大丈夫だろうと答える。久しぶりにMr.KKと話をする。
彼女とは少し話をしたことがある。香港が好きで来た、と言っていた。僕はアジアが好き。そういう話で僕がそういう雰囲気を持っていることがわかると彼女は積極的に話してきた。仲間を求めているのかも知れない。

マンションに帰ってから有線テレビの日本ドラマ「聴不到的情話」(愛していると言ってくれ)を見る。なかなかいい。

中国へ移動の準備が進んできました。ウィークデイは中国、週末には香港に戻るという二重生活となります。で、今のみんなのマンションは大きすぎてもったいないというので、中国へ配転になる人はマンションを共同で使うようにするという上層部からの提案でした。提案が二転三転するのでいろいろとあちこちでもめてました。給料、待遇などの契約内容もそれぞれ異なっているので調整が大変です。

Mr.KKは日系アメリカ人。アメリカに渡ってアメリカ人女性と結婚しアメリカで働いていましたが、その後香港へ単身赴任。私とはけっこうウマが合うのでよく雑談をしていました。
アメリカでは国外で働いても7万米ドル以上の収入があるとアメリカに税金を納めなければならないということで、給料調整が大変だ、とかいう話や彼の愚痴話などを。愚痴といっても私にとっては嫌みがなくすんなり入ってきます。

とにかくもこの会社は日本人が数十人、そのうち女性も数人。女性は広東語、北京語を話す人が多いです。男はほとんどが英語だけ。これは男女差だろうと思いました。女性は実生活に適合するように動くのでしょうか・・・

今の香港、ジョーダン付近


2007.02.07 カテゴリ: 四季の日記 

   【深圳 冬】 深圳からオリオン星座

2007年 02月 07日




あるブログのオリオンに刺激を受けてベランダへ出ると正面にオリオンが・・・カメラを取り出していました。
撮影してみるとコンデジとは思えないできばえに感激。でもコンデジはコンデジ・・・Photoshopの助けも借りて・・・まねごとを。


オリオン座の左上のベテルギウスが赤く写って感激。(この写真は白っぽいですが・・・)
これは縮小していてよくわかりませんが原画ははっきり赤く写っています。
対照のリゲルも青白く鋭く光っています。
M42星雲はわずかに雰囲気が・・・
こうなるといいカメラが欲しいですね。
さらに小さい星の一つ一つまで立体的に色もくっきり、本当にびっくりでした。
(原画は容量オーバーでUPできません)


左の方に青白く明るく光るのはおおいぬ座のシリウス
上の方のこいぬ座のプロキオンとで冬の大三角に。
少しパンして・・
この画像です。

冬の大三角


(中国時間2007年2月7日0時08分撮影)



地上では新マンションの建設で一晩中灯りがついていますので星空写真の下の方が明るいです。
ついでに撮影。


2007.02.09 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(62) 内装設計会社へ第3回目の支払い (2005.3.21)


【62】  2005年3月21日  内装設計会社へ第3回目の支払い
項目経理(現場責任者)から電話、第3回目入金の件。見積もりによる最後の支払い。あとは仕上がり後の精算分。

深圳へ。まず現場へ行き状況確認したあと、財富ビルの装飾公司の事務所へ。リリーフ設計士と現状について意見交換。コンセントの追加の件と食卓部の戸棚の戸がスノコになって、間が透いているので穴を閉じてほしいと要求する。彼は香蜜山へ行って打ち合わせをするという。

会計部の人を連れ3人、事務所の車で招商銀行へ。これは自分ひとりでお金を出しに行った時、万一の事故を防ぐため。付いてきてもらうと銀行内で支払えばよい。

再び現場へ。リリーフ設計士と塗装の色について打ち合わせ。あと戸棚の戸の形状変更を工人と話す。
リリーフ設計士はやっぱり考え方や知識の点でちょっと頼りない。工人にも心なしか無視されているように見える。27才ということで退職した女性設計士よりも年上なのに残念。重要項目は元の設計士が優れていると思う。これだと名雕を選んだ意味がない。海大の方がよかったのではないかと悔やまれる。

 近くの日本料理屋で夕飯を食べて地下鉄で帰る。

10,700歩

以前、木工の部分は上から色を塗るので木の色目は気にしなくてもいいと言うことでしたが、情報ではそんなことはしないと言うことを別の人から聞いていたので、中国語を聞き間違えているのかと頭の中でややこしくなっていました。
どうも色塗装をすることがはっきりしました。あとで色のサンプルを作ってもらうことにしました。

ほぼ目止めされた木工


香蜜山の前でもマンションが建設

香蜜山を買ったときは「通天閣」が見えていたのに・・・

2007.02.10 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(63) 内装材料店巡り、不動産携帯メール (2005.3.23)


【63】  2005年3月23日曇  内装材料店巡り、不動産携帯メール
内装仲間から教えてもらった東門市場のカーテン街へ。4階がカーテン街、3階が繊維街。3階は大阪の船場のような感じで懐かしい。
巻きカーテンが80-150元/㎡ぐらい、普通のカーテンは120元/mぐらい。

この前、香蜜山(内装現場)で会った地板屋(フローリング屋)の小姐から電話。いつ香蜜山に来るか、と言う。セールスのようだ。明日行くというと来たら電話をくれと。

あと地下鉄で世紀広場(内装材料店)に向かう。木地板(フローリング)を見るため。販売員とじっくり話をすると少しずつ理解できてくる。傷がつきにくい、というポイントが増えた。艶ありのものが多いが、僕はつや消しがいい。つや消しの場合、1㎡あたり10元高くなるとのこと。
紫檀のものがいいが値段が高い、320-250元/㎡。樟のものだと140元ぐらいである。ザボンだと175元。

今日も不動産屋から電話。このごろは要領を理解した。自分で住むと言えば大概OK。

20,800歩

「東門布料窗帘廣場」とかかれている所がカーテンビル


この頃、マンションに関するメールと電話は毎日ほどありました。内容はほとんど「買った部屋を売りませんか?」という不動産屋のもの、それに「内装設計はXX装飾公司へどうぞ」という内装設計屋のものからでした。

マンション側が電話番号を売っているな、というのが頭に。それ以上のデータを売っていないことを願うだけでした。

不動産屋のは自分で住むと言えばいいのですが何しろ数が多すぎます。

ちょっとメールの会話ご紹介を


2005.03.04. 14:41
您好,我想问您金地香蜜山的房子现在卖多少钱
あなたは部屋を今ならいくらで売りますか?

- 私の返事
[我想自己住。如果买的话多少钱?]
私は自分で住みます。もし売ればいくらですか?

- さらに
2005.03.04. 14:51
现在市场都是在七千元一平方米左右,你那个房子开始装修了没有?
今の市場は7000元/㎡ぐらい、あなたは内装を開始しましたか?

- 私
[已经开始了]
開始しました

2005.03.04. 15:02
你看这样行不行,我明天带客户去看,见面再谈好不好?
こんなのはどうですか、私は明日客を連れて見に行きます。あなたと会ってもう一度話をしましょう。

- 私
[不好意思,我不卖]
悪いですが、私は売りません。

- さらに
2005.03.04. 15:23
彭先生你如果想卖的话你会卖什么价位,我这个客户是很实在的,你能否考虑一下。
いくらだったら売りますか?この顧客は真剣です。あなたは考慮できませんか?

- 私
[我还是不卖]
売りません

6700元/㎡で買ったのに7000元で売るはずがありません。
まあ、返信せずに放っておけばよいのですが、ちょっと面白いのです。
ちなみに現在13000元・・・

2007.02.12 カテゴリ:記録・日記 >  香港中国出張日記1992-1995 

   【香港中国わかばマークの頃】 (1) 初めての海外旅行 - 香港ひや汗紀行 (1992.1.11-14)

私が初めて海外に出たのは1991年11月、出張で一人韓国へ。旅行は翌1992年1月に香港と深圳へ。国内外旅行ともにツアー旅行を利用したことがありませんのでハプニングも無駄も多いです。
この「初めての海外旅行 - 香港ひや汗紀行-」はまだ香港が返還されていない1992年、初めての海外旅行でのことです。
香港・中国若葉マークの頃 【1】 初めての海外旅行 - 香港ひや汗紀行

1992.1.11(土) - 1.14(火)香港・深圳
By Sceneway

その瞬間、あせりが体中を駆け巡った。初めての海外旅行。この香港の八百伴に近いマンション、鍵が開かない。いくらガチャガチャやってもダメ。おかしい、どうして..... 。一人立ちつくしてしまった。


昨年11月に韓国へ一人、四日間の出張に出た。初めての海外。空港に降り立った時のほのかなキムチの香り、ハングル文字の看板、オレンジ色の照明に照らされた街の色、四ッ目の信号灯、見るもの全てが日本とは違う好奇心でいっぱいだった。
それから2ヶ月後、香港に住む日本人の友を訪ねてこの香港にやって来た。香港往復のディスカウント・チケット9万4000円、香港・啓徳空港に着いたのが2日前のこと。

空港には友人が迎えに来てくれていて、そのまま彼のマンションへタクシーで向かった。マンションは黄埔花園、約60㎡の広さで引っ越して間もないという。家賃は20万円と目が飛び出そうな高さ。彼の入れてくれたコーヒーを飲み、思い出話などをしながらしばし休息、来ていた郵便物でここの住所を手帳に控える。

旅行会社から帰りの飛行機のリコンファームを72時間前までにするように言われているが、電話ができないので外へ出て帰りの飛行機のリコンファームの電話をする。

「えー、リコンファーム プリーズ」
自慢じゃないが中学校以来、関西弁を除いて語学には全く自信がない。幸せなことに何とか理解してくれたようだ。
「マイ・ネーム・イズ・...............」

香港に来る前、英語の達者な人に電話の方法を相談したことがある。彼の曰くは、「相手が聞いてくることを先にこちらから言え」ということであった。よし、実践してみよう。名前、便名、期日などを伝えると、向こうから確認のおうむ返しがある。これだけで終わってくれというこちらの願いとは裏腹にさらにいろいろ聞いてくる。煙草は吸うかとか、とにかくいろいろ。何かゴチャゴチャ言っている。弱った。でも何とかしないと。向こうも弱っているだろうな。結局、名前をフルネームでアルファベットで言え、と言うことであった。なあんだ。ともかくも、初めての「英語?」での電話が通じたことが恥ずかしながら嬉しかった。

夕方、友人と共に香港から広州へつながる鉄道、KCRに乗って中国深圳へ向かった。深圳・羅湖駅から西へバスで40分くらいの「蛇口」という所に彼の奥さんがいる。彼女は中国人で、まだ日本のビザがないため、蛇口にマンションを借りて住んでいる。彼は週末を彼女と過ごし、月曜日の朝、中国から香港へ通勤するという生活を続けている。

結婚すればビザはすぐ与えられるという国も多いが、中国人と結婚をしてビザを申請しても早くて半年はかかるとのこと。中国人が結婚のためのパスポートを申請して発行されるまで約1ヶ月かかるというので、結婚してから日本で一緒に生活できるまでには1年近く待たなくてはならない。しかも結婚を届けたあとの戸籍には妻の欄が空白、ただ注釈欄に「中国方式により結婚の届出を受理」とだけ記載されていることが空しい。日本政府から祝福されない結婚なのだろうか・・・

2001年国慶節
中国側イミグレの大混雑

KCRで香港九龍駅(現在のホンアム駅)から中国国境の羅湖駅まで行く。羅湖駅では電車を降りると、乗客は出口に向かって一斉に走り出す。ここから中国へ行く香港人が非常に多く、入国審査で時間がかかるため。特に今日のような土曜日は多く、悪くすれば改札を抜けるまで30分から1時間待つと言う。

中国税関近くのオフィスで香港ドル85元、5日間有効の深圳経済特区内ビザを買って通関する。ビザの取得はいたって簡単、申請書に必要事項を書き込み提出すれば5分位でビザを取得できた。

2階の外人用の税関(香港人は1階の税関)はほとんど人がいない。イミグレを出ると、奥さんが迎えに来てくれていた。
「ニーハオ」
初対面、知っている数少ない中国語で挨拶をする。

友人は普通話(標準語)なら中国語はぺらぺらのようだがこの広東省や香港で話されている広東語は分からないと言う。奥さんは広東人で広東語が母語。でも高校卒業以上の人なら普通話は問題ないとのこと。彼女は問題ない。彼は奥さんと何か言いながら笑いあっている。なかなかいい雰囲気。これから彼女のマンションに行き、泊めてもらうことになる。
彼はバスで行くかタクシーにするかと聞いてきた。バスといってもまともなものを想像しては駄目だという。それは楽しみだ。好奇心が頭をもたげる。バスで行こうと返事をする。バスで彼女のマンションへ向かう。

バスはマイクロバスの中古の中古のようなもので、座席は体が動くと一緒にずれる。室内の照明は豆球のようなものが天井からコードでぶら下がっている。独特のサスペンションでごとごと動きだした。
深圳と蛇口の中間くらいのところでバスを降り、韓国風レストランで夕食。中国人にとっては贅沢な所だそうだが、中国人も結構多い。中国のこのあたりの普通のワーカーの給料は日本円で5000円くらいだと聞いていた。メニューを見ると給料に比べて確かに安くない。

再びバスに乗って蛇口の彼女のマンションへ。彼女の部屋は8階、エレベーターがないので階段を上がる。部屋は広い。25型のテレビ、クーラー、そして夫婦連絡用(?)の電話と揃えてあるが、日本人の妻ならということもあって、買い揃えるにはいろいろ悩んだそうだ。

この日は友人の通訳や筆談を交えて、夜遅くまで3人で話をする。僕が知っている中国語はイー、アー、サン、スー........と数字を数えると彼女はびっくりした顔をする。更に、ウォー・アイ・ニーと言うと、顔を手で覆い恥ずかしがるそぶりをした。なかなか可愛いと思った。明日は中国民族文化村を案内してくれると言う。

翌朝、近くの食堂で飲茶を食べ、バスに乗り民族村へ。入場券には香港ドルで160元と書いてある。中国人の場合は数十元位だという。
民族村は中国各地の名所を、野外にミニチュア模型を作って展示してある。入場料が高いだけのことはあってとにかく広い。真剣に見て行けば一日では難しいかも知れない。桂林、万里の長城まであった。売店でポップコーンを買って嬉しそうに食べる彼女の顔が印象的だった。

時々、彼女の口から「ブス」と言う言葉が聞こえてきてどきっとする。日本語のあのブスと全く同じ発音なのである。聞いてみると、「不是」という isnot の意味であるとのこと。純粋の普通話では「プー・シー」と言うのだそうだ。それにしてもブスとはびっくりする。彼女にそのことを言うと、「わたしは ブスです」と日本語でおどけて言う。





民族文化村
锦绣中华








使い捨てカメラで適当に写真を撮りながら見て歩く。中国人は写真を撮るとき必ずと言っていいほどポーズにこだわる。ちょうど、タレントがプロマイドを作るようにポーズをとる。民族村でも例外ではない。一人の女性が座りながら手を頬にあてたり、向きを変えたりしてスカートの裾が皺になってきている。僕は手すりに頬杖をして何気なく見ていた。その時、彼女はスカートの裾をつかんだと思うと、下着も見えよとばかり思いきり上に持ち上げ裾を直した。
「は・・・・」
一瞬目が点になってしまった。残念ながら下着は見えなかったが、口が半開きで言葉も出ない。友人の細君もその様子を見ていたようで僕の方に見るな、と手で合図しているが、見えてしまってからではね。
友人はよく上海に出張するらしいが、女性が自転車に乗るとき、暑いため、両手でスカートの裾をつまんだままハンドルを持つ所をよく見るそうである。下着が見えそうで見えないのだそうな。それを奥さんに言うと、上海には行くなと言うそうだ。中国人はやきもちやきが多いと言う。

昔の旅行記を見ていると少しずつ思い出してきます。ミニバスのひどかったこと、道が雑然としてでこぼこだったこと、周りの風景に木々が少なく赤茶けていたこと。煉瓦を投げ合ってけんかをしているのがバスから見えました。
ほんとに今の深圳は天国ですね。それでも私は当時の深圳の姿をけっこう興味深く見ていました。初の海外旅行だったからでしょうか・・・
それにしても奥さん、今とは違って、この頃は私にたいそう気を遣っていますねえ・・・

夕方、再び彼女のマンションへ。夕食は彼女の手料理を食べさせてくれるらしい。一緒に市場へ買い物に行くと、肉や野菜がたくさん並んでいて一斤(約500グラム)あたりの値段が書かれている。びっくりするほど安い。品質の悪い物もあるとかで、中身を確認しながら買う。

彼女が料理をしている間、友人と二人で本屋へ行く。色は白いのだが薄い藁半紙のような紙の本が多い。「中国交通旅游圖冊」と書かれた中国の地図帳を買う。紙の質は良い方だが他の本に比べ値段が高い。それでも日本円で100円もしないという安さ。買うときがまた面白い。売り場で伝票をもらいレジでお金を払い、その領収を持って本と引き替え、ということをする。不正の要素を無くすためだろうか。

彼女の手料理をご馳走になる。本だけで勉強したという日本料理だが、とてもよく雰囲気がでていて感心する。味噌汁も作ってくれていたが、なぜかキャベツが入っている。しかし、それも気にならないくらいおいしい。中国人は料理の才に長けているのだろうかと考える。
食事のあと、シャワーを勧められる。まず客が済まないと家人が入れないというので、お先に失礼する。
友人がシャワーを浴びている間に、奥さんが日本語の教則本や日本料理の本を嬉しそうに見せて、身ぶり手振りでいろいろ説明してくれる。今、深圳大学で夜間の日本語講習を受けているらしい。

さあ、明日は月曜日、香港に戻る。友人は仕事だし、香港を1人で歩くことにしよう。タクシーは行き先を紙に書いてみせればいいし、地下鉄も地図があるからどうにかなるだろう。スターフェリーもいいかも知れない。

早朝、奥さんが羅湖駅まで見送りに来てくれた。別れ際、日本語で「てがみ」と言い、手振りで手紙を書くまねをする。「OK」と頷き、友人と2人で列車に乗り込んだ。彼は職場に向かうため、途中の九龍塘駅で降り地下鉄に乗り換えた。僕は彼のマンションの鍵を預かって1人終点の九龍駅(ホンアム駅)に行く。この駅から彼のマンションまでは歩いて15分ぐらいだろう。歩いていくことにした。目印の八百伴が見えてきた。

 保安のためマンションの入り口で暗誦番号を入力するようになっているが、うまい具合に入り口の扉は開いている。エレベーターに乗って5階のDへ。鍵を鍵穴に挿入する。ガチャリと開くはず......?。えっ、そんな......。どうしよう。何回やっても同じ、開かない。あせった。こんな筈はない。1階へ降り、5階Dの郵便受けの鍵穴にも鍵を入れて試してみる。少し堅めだが開くことは開く。中は空だった。もう1度5階へ。やっぱり駄目だ。こんな所で迷子になる訳にはいかない。

 1階にいた管理人さんに身ぶり手振りで鍵が開かないことを告げた。彼は何のかんのと言っている。広東語らしい。手帳を出して書いてくれと身ぶりで示す。書かれた文字は「貴國」。そうか。習いたての中国語で「リーベン」(日本)と答える。リーではなく難しい発音らしいのだが、リーでいいと友人が言っていた。彼は「オー、オー」と言い、2度3度頷く。意志が通じたのが嬉しかったのかにこにこしている。しかし彼はここに住んでいる日本人は5Dの部屋ではないと言う。ああ・・・。すったもんだの挙げ句、彼はトランシーバーでどこかへ連絡をしている。

 しばらくすると、恰幅のよい制服の紳士がやって来た。服装からして警官のようだ。彼は英語で話しかけてきた。この僕に英語?。けれどもそうも言っていられない。きき耳を立て、一語一語よく聞いてみる。どうもお前の住所はどこだ、と言っているらしい。先日、書き留めた住所を見せると、彼はその住所を何度か呟き、僕に外へ出ろと手招きする。ついていくと、彼は2階付近を指さした。そこには7棟を示す「7」の表示がある。そうなのだ。僕は棟を間違えていたのである。瞬間のうちに安堵感が体全体に広がり、力が抜けていくのを感じた。よくぞ住所を書き留めておいたものだ。
香港ひや汗紀行
終わり



まだ「世界之窗」がなかった頃の深圳、車酔いに苦しみながらも明るく案内してくれた奥さん、帰国後、奥さんに電話をしました。彼女は日本語を話そうと教科書を繰り、言葉を探しているような感じ。「沒有、沒有」(無い、無い)と言いながら一生懸命になっているのが、印象的でした。

2人のその後は、返還前の香港で、中国人が香港に滞在するには制限があって許可がなかなかおりないので、友人は東京の関連会社に3年間勤め、奥さんとともに東京で過ごしたあと、弁護士を立て奥さんの香港のビザをとり香港に戻ってきました。2人が香港でともに生活するために彼女の日本のビザ申請期間も含めてなんと4年以上を費やしたことになります。

今、彼女は日本語はぺらぺら、大阪語もこなします。香港在住7年を超えて広東省戸籍から香港戸籍に移動、すなわち香港人となって香港で生活を続けています。
今がこんなことで4年も費やさなくてもよい時代であることを祈って・・・・そして戸籍も・・・

2007.02.13 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(64) キット・チャン、陳潔儀 (1997.2.25)

【64】  1997年2月25日(火)  Kit Chan 陳潔儀

このごろよくMr.KKが話しかけてくれる。僕も彼に対して不愉快な感じが全くないので気楽に話せる。

香港人Mr.Tamに手伝ってもらいながらCADデータをモデムを使って電送する。相方がやるとあわただしいので訳がわからないが、彼の場合は非常に丁寧にやるのでよくわかる。昼飯を一緒に食べに行く。Mr.KとXXが来ていた。一緒に卓を囲んで皆でつつく。

今日は早く退社する。久しぶりにテルフォードをウインドウショッピング。KIT ChanのVCDが欲しいがなかなか見あたらない。そんなに高くないので、やっぱり見つけたときに買っておく方がいいかな。

今日も「聴不到的情話」(愛していると言ってくれ)を見る。


ここのCADデータと言うのは回路設計のあとのプリント基板パターン設計のPCデータのことです。この当時日本ではまだ、旧式のスタイルをとる所も多くてモデムで電送と言うのはあまりしていなかったと思います。もっとも個人的には旧式の方法でやると消耗資材をたくさん使ってもったいないので電送の努力をしたのですけどね・・・
そういう点、香港では楽になるものは楽にする風潮があるので簡単にいけるようでした。

4年に1度、日本で運転免許の切り替えをするのですが、住所が変わっていなくても申請書類をすべて手書きで書き直し、写真も持参して申請書類に貼ってさらに免許センターで再び撮影と訳のわからない無駄を感じます。さらにこれらがPCが一般的になる前から何十年も同じ形態がつづいていることにかなりの違和感と神がかり的な不思議さを感じていました。聞く所では安全協会が微妙に絡んでいるとか・・・

これらの不思議は香港では全く感じませんでした(もっとも違う不思議はいろいろ感じますけど)。PCを日本よりはるにうまく利用していました。役所へ行けばPCを利用したシステムで2度手間みたいなのを感じたことがなくスムースでしたし、会社へ行けばひとりひとりがPCを持っている所が多いのです。
こういう問題は何が原因かよく考えなければならないかも知れません。



KIT CHAN、陳潔儀はシンガポールの歌手、私が日本にいた頃テレビで見ていいなと思っていたひとです。CDは持っていたのですがVCDが欲しくて一度見かけたのですが買わずにいたら欲しくなってきたのです。のちほど、めでたく手に入れました。60香港ドル程度、なぜか香港ではCDよりもVCDの方がずっと安いのです。
(写真はCDのジャケット。髪に自分の名前を書いてます)

彼女の目は一見きついのですが、見慣れてくるとなんか優しいのです。
日本のドラマ「鬼の棲家」にも出た香港のケリー・チャンと同じような印象を持ってしまいます。
香港人、数人と一緒にカラオケに行って彼女の「心痛」を歌うと、彼らは
「あ、あんたはこういう女性が好きなの?」
そうですよ。こだわりませんけど。

2007.02.14 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(65) 冬の蚊 (1997.3.1)

【65】  1997年3月1日(土)  冬の蚊

昨日からまた中国工場。
最近急に気温が上がってきた。1週間ぐらい前まではセーターを着ていたのに今ではとんでもない話だ。今が一番いい季節かも知れない。
それにしてもこの中国工場はどうしてこんなに蚊が多いのだろう。前回も冬だというのに蚊が飛び交っていた。今回は気温が上昇してきたせいか、元気もいいし、数も多いし形も大きくなっている。

香港に着てろくに休みも取れず。明日も出勤。今日午前中F氏が香港からやってくる。どうも日曜日も出勤する構えのようだ。
香港人Mr.Tは帰る。僕も帰りたい。
今、仕事を手伝ってくれているのは朝鮮族の3人の大学を出た技術屋なのでこんな仕事をさせるのは気がひける。

東莞市虎門に近いこの工場、なぜか冬に蚊がたくさんいました。夏は蚊も暑いのか、出てこないという不思議な所でした。
休憩室のソファーに腰を下ろすと一斉に大量の蚊が飛び出してびっくりすることもありました。
ここの管理人は1階の入り口扉近くの階段下に部屋もなくベッドだけが置いてあってここで睡眠をとっているのですが、夜になるとこの2階にある私たちのゲストルームにまで殺虫剤のにおいがしてくるほど殺虫剤をがちがちにまいていました。
ゲストルームは電気蚊取り器が置いてありますが、においばかりで効果は小さく・・
現在の深圳は春節を目の前に花の市場が活発です。





2007.02.15 カテゴリ: 四季の日記 

   こよみ 太陽暦と太陰太陽暦 【深圳 歳末】 花の準備


【深圳 歳末】 太陰太陽暦と新年(春節)の花の準備

(2007年02月15日)
おそらくアジアでは正月といえば春節、太陰太陽暦(陰暦、太陰暦)の1月1日のことが多いと思います。日本では1872年(明治5年)まで国歴として使用されていました。ここで太陰太陽暦のおさらいを。

太陰太陽暦は、太陰すなわちお月さんの満ち欠けを基準にして暦を作ります。

お月さんの満ち欠けで1ヶ月の日が決まります。毎月1日がお月さんの見えない新月で15日が満月。十五夜お月さんは15日のお月さん、三日月は3日のお月さんです。

お月さんの満ち欠け周期は29.53日ですが、1ヶ月を29.53日とすることができませんので29日の月(小の月)と30日の月(大の月)を交互に繰り返します。すると1年12ヶ月で354日。太陽暦の365日に比べて11日短いので毎年11日、正月が早くなります。たとえば今年は2月18日の春節が来年2008年は2月7日です。

毎年11日早くなると年ごとに季節感が変わってきますのでほぼ3年に1度(正確には19年に7度)1ヶ月を挿入、1年を13ヶ月(383日または384日)にして季節を調整します。ですのでこのときは正月が前の年より20日程度遅くなります。(2006年→2007年と2009年→2010年)

各年の春節
2005年 2月 9日
2006年 1月29日
2007年 2月18日
2008年 2月 7日
2009年 1月26日
2010年 2月14日

2006年に7月が、2009年には5月が繰り返されて(「うるう月」を挿入)1年13ヶ月になってます。たとえば2006年ですと7月のあとに閏7月が入り、その次に8月が来ます。  こよみのページを参照してください。

イスラムの暦は閏月の調整をしない1年354日の純粋の太陰暦のようですね。イスラム圏は熱帯なので季節感がないためだろうとか。


中国では太陰太陽暦は農歴(农历)と呼ばれます。
で、2007年の春節ももうすぐ。春節用の花があちこちで売られています。
これは地下鉄「車公廟」(车公庙)駅近くの農科中心(农科中心)にある花卉中心です。普段は静かな植木街ですが春節前は大量の花が売られてにぎやかです。

一帯が植木屋さん。この写真は一部です












その中心的存在なのが花卉超市。大きな植木のスーパーです












2007.02.16 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(64) いろいろな内装材料仮店舗 (2005.3.24)


【64】  2005年3月24日晴  いろいろな内装材料仮店舗

雲はまだ多いが久しぶりに晴れたような感じがする。
胃酸の薬が切れたので昨日は飲めなかった。薬の副作用で睡眠が悪くなるのだろうか。薬の説明書に便秘は書いてあったが...

KCRで深圳に入り、地下鉄で「車公廟」下車、香蜜山へ。途中でフローリング屋に電話。現場へ行くとフローリング屋がサンプルを持って待っていた。
きのう世紀中心のホームセンターでフローリングの木材をペーパーでこすって見せて強さを強調していたが、その時せしめたペーパーでこすってみる。光沢のものはダメ、つや消しの紫檀のものも少し傷が付く。表面仕上げがよくないのだろうか....ただ値段が安い。

香蜜山に仮店舗を作ってると言うので行ってみた。サンプルが置いてあったが、世紀中心で見たのとは違うメーカー。茂木地板とある。嘉森地板も扱えるとのこと。他よりも30元/㎡安くすると言う。80㎡ぐらい必要なのでこの差は大きい。2,400元。
ここでも「好太太」(いい奥さんという意味か・・)というブランドの物干し竿を扱っていた。リモコンで上下させる電動式。850元と言う。以前聞いた12,00元とは大きな隔たりがある。他にもカーテンを扱っている。カーテンもかなり安そうなことを言うが...少しのんびりしたあと、自分の現場へ戻る。

また、別のカーテン屋がやってきた。それぞれ顧客の争奪戦が激しそうだ。おかげでこちらは誰が誰かさっぱり分からない、顔を覚えられない。
前に行った12階Cの仮店舗に再びおもむく。開放されているベランダにガラス窓をつけないかとのこと。僕も物干しのベランダが気になっている。洗濯機を置いても横殴りの雨が降ればぬれるし、外気に当たるので耐久性に欠く。
いつの間にかやって来た香蜜山の保安らしき人物がやりとりを聞いていて、それはダメだという。外観をいじることはできないと。

また来客、この前の地下駐車場でカーテン屋を営んでいる彼女。地板のサンプルもあるというので出向く。ここでもあの物干し竿を扱っていた。やっぱり850元でいいという。
地板はあの嘉森で安くするとのこと。玉檀香は世紀中心で580だったが550までにするという。香木のようにいい香りのする木、したがって高い。書斎だけに使おうかと考える。
嘉森地板の工場見学をさせてくれるという。明日行ってみようか。もし、この地板を使ったら物干しをサービスしてくれるかと言うとOKと言う。
先ほど、内装しているよそ様の部屋を見に行った時、カーテンレールの90度曲がったものがあるのでこちらも使用することを考える。

地下鉄で香港へ。香港側のイミグレで自動機を発見。指紋認識で自動改札みたいにイミグレを通過するもの。試しに使用してみる。
まずIDカードを挿入しデータを読ませて次のステップに。ここで指紋を照合しOKであればドアが開き入国審査終了。慣れれば早いのかな。

11,700歩

内装工事が進んでくるといろいろな売り込みが活発になってきます。一番値の張るのがフローリング。床を石にするなら安いのですがやっぱり木の方がね。
よその内装具合を見て回るのも参考になるし面白いものです。最上階へエレベータで上がり、階段を下りながら内装中のところがあれば中へ入って見学して回ります。私のところにもそんな人がたくさん来ました。

現場のあき部屋を使って仮店舗を作ります。カーテン屋


見るとキッチンも間接照明に。レンジフード部分

2007.02.17 カテゴリ:記録・日記 >  深圳内装日記2004-2005 

   中国深圳初内装日記(65) 地板工場見学 (2005.3.25)


【65】  2005年3月25日曇  地板工場見学
香蜜山の現場へ。7棟地下駐車場のなじみになったカーテン屋へ行く。水を出してくれる。

昨日の地板屋、嘉森の工場見学を誘われて車で連れて行ってくれた。深圳宝安区、特区外の観蘭にあった。
車で連れて行ってくれた男性、車の中でいろいろ説明してくれるが訛りがきつい(と思った)ので話を聞き取るのが難しい。

工場見学は取り立ててどうという印象もなくふつーの地板屋(何がふつーかわからないけど・・・)だろうと思う。
材料の木を切って、自動で表面加工をしている。赤外線乾燥装置とかあったが普通な感じ。塗りを何回か繰り返す。善し悪しの判断基準がわからない。
ただフル稼働ということもなく何となく動いているような感じで敷地が大きい割に人が少ない。
注文があったときに表面処理などの行程が動くのだろうか。木の在庫をたくさん積み上げていた。

でもここで毎日仕事をしていたら根暗になりそう。暗いし寂しい。いろいろ感想を聞かれるがどう答えたらいいものか...
嘉森を選ぶときは必ずあなたに連絡する、とだけ答える。

帰りに崗厦へ寄って世紀中心ホームセンターを覗いて帰る。

12,700歩

工場見学をさせて注文をとるというのは何となく興味のある方法です。でもあまりいい工場でなければ逆効果では・・・
以後も何カ所かの工場見学に行きましたが工場はどこも同じように周りに何もないような田舎ばかりの家内工場的で大丈夫かな、と思ってしまいます。







2007.02.18 カテゴリ: 四季の日記 

   【深圳 冬から春へ】 陰暦大晦日から新年へ - 深南路の大晦日

2007年 02月 18日

8時頃田舎の私のすみかからバスに乗って「町」に出かけました。大晦日のせいなのでしょうね、道はがら空き、バスがすいすい進んでいきます。
ホテル上海賓館で降りてJUSCOの方に歩き始めました
爆竹の音、花火の音が聞こえます。

















JUSCO店内もがらがら。


威勢のいい日本語の売り声のおっちゃん、がんばってました。
こっちはタイムサービス品をがっちりゲット、主婦みたいです

ただいま中国時間23時55分、あとわずかで新年


2007.02.20 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(66) 中国工場PartⅡ第3日 (1997.3.2)

【66】  1997年3月2日(日)  中国工場PartⅡ第3日

8時半日曜出勤。2人の中国人の手伝いで仕事を始める。言葉の不自由さもあってゆっくり進む。昨日購買部で買っておいたお菓子とコーラを持って行く。

このごろ一日一日が進歩していないことに焦りを覚える。新しい技術分野の仕事をするでもなく言葉を勉強するでもない。
何か充実した時間があればと思う。仕事の一部に振り回されていては何も向上しないように見える。体を浪費するだけ。
香港中国に住んでいる価値がないように見える。ただ一時的に収入が増えたに過ぎないように見える。せめて・・・

この頃の日記を読み返すと休めないせいか、ぼやきが多くなってました。もう少し気楽になってもよかったのでしょうが・・・

ただ、香港・中国という日本とは違う状況の中で、日本人が香港で起業した会社、日本人も多くいるので日本流の運営にこだわっているように見えたこと、取引先が日本にある日本企業だと言うことでなおさらで、会社自体に無理があったのではないかと思えます。日本側の要求を香港中国で果たすことはまず無理。
2007年 深圳のマンションの春節






2007.02.21 カテゴリ:記録・日記 >  香港在住日記1996-1998 

   香港初在住日記(67) 通訳の面接 (1997.3.4)

【67】  1997年3月4日(火)  通訳の面接

さんざんな一日だった。
今日も中国工場。朝、総務のHSさんから通訳をしたいという人が今日面接に来るので応じて欲しいと言われた。なぜ僕が・・?と思ったが今日は開発部関係のエライさんが誰もいなくて僕が筆頭になるらしい。技術に入ってあなたのアシスタントになる人だからと言われて引き受けることにした。
中国人の外出許可にもサインさせられた。

採用のための面接と言うのは初めての経験。大丈夫かな。HSさんのはとりあえず入れればいいですよ、という。とりあえず入れてだめであれば首にすればいいとのことだろうが・・・・
今いる女性が3月15日で辞めるのでその代わりとのこと。

1人は通訳志望の男子。学校を卒業したばかり。話をするとCDプレーヤーという言葉もわからない。こちらからいろいろ質問してもわかっていないような気がする。直感的だめだとに感じる。HSさんに伝えると即行動。

つづいて女性。2年間日系企業で事務的なことをやっていたという。日本語もさっきの男子に比べて流暢。細かい話は無理だけど意欲はありそう。日本企業に入社したい目的が日本語を覚えたいそうだ。将来性は感じるが調子のいい所が気になる。
広瀬さんはこの女性が恵州出身で広東語が母語なので香港人とのコミュニケーションにいいのではという。なるほどそうだ。HSさんはいい人なのだろうと思った。

とりあえず香港に電話を入れる。誰もいない。後ほど電話があり、ごちゃごちゃ言っているが結局のところは僕の判断で決めればいいような感じ。

広瀬さんに気に入りました、と伝えるとこれまた行動が早い。彼女は以前の会社で1200元の給料だったと言っていることを伝えてバトンタッチ。今の小姐は1500元の給料らしい。

HSさんは日本人ですが戦争のため、中国生まれの中国育ちだとか。で、中国の事情には詳しいのです。
はっきりしている印象で、ポイントを心得た行動に感心させられた人です。私が呼ばれたときにはすでに面接の中国人に日本語の新聞を見せて翻訳させていました。なるほど、と思いました。さすがに総務です。

面接した女性は入社しました。日本語のレベルはまあまあで一応成功という感じでした。



これは当時の中国工場ではありませんが、工場がある所と言えばこんな感じのところが多かったのです。ここはかなり都会の方です。




2007.02.01  
Intermission  奈良・春日大社での結婚式
2007.02.02  
トミーズ事件について
2007.02.02  
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2007.02.14  
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2007.02.15  
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2007.02.16  
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2007.02.17  
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2007.02.18  
【深圳 冬から春へ】 陰暦大晦日から新年へ - 深南路の大晦日
2007.02.20  
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